一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第4回)パチンコに熱中、3浪目に =最後は猛勉強、医師の道へ

 「次は何とかなるだろうという曖昧な気持ちでは行動が伴うはずもない」。天野篤氏は大学受験に続けて失敗し、2年目の浪人生活に突入した。予備校には通わず図書館で勉強することにしたが、それも長くは続かなかった。

 「図書館に通ったのは6月ぐらいまで。2浪目になると、もう成人していますから、お酒も飲めるし、たばこも吸える。パチンコにも通うようになりました」と天野氏。大宮駅前の喫茶店で時間をつぶし、パチンコ店の開店に合わせ入店する毎日を繰り返していた。

 「パチンコ台には場所取りのため、喫茶店のマッチ箱が置いてあるんです。マッチ棒を箱から1本出したり、箱の角を折ったり、中身を抜いてつぶしたり、それぞれに細工がしてあった。通い詰めているうちに、僕はそのマッチを見て、誰のものかが一目で分かるようになりました」と笑う。

 天野氏はパチンコの常連客と顔見知りになり、腕前も「プロ級」だったという。「手打ち式の頃は完勝で、1日1万円ぐらいは稼いでいました。同じ姿勢で集中しました。朝から閉店までずっと。手術中、手が震えないのは、パチンコのおかげ。他の外科医との違いはどこにあるかというと、もうパチンコしかありません」

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一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏