一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏

(第4回)
「女性は無理」を押し切って産婦人科へ
「大丈夫。ぜひ」と東大病院に

 医師としての専門分野を決める際、女性を助ける仕事をするための選択肢として、産婦人科、精神科、小児科、公衆衛生の母子保健などが頭に浮かんだ。「でも、まずは手に職、スキルがあることが大事だと思って産婦人科にしました」と対馬ルリ子氏は話す。

 「お産や手術、外来診療のスキルを身に付けながら、多くの女性を診察することを通じて、本などで勉強した知識がどのように使われているのかを確かめようと思いました」。対馬氏は青森県弘前市を離れ、研修先を症例数の多い東京にしようと決めた。

 しかし、対馬氏が見学先の病院で産婦人科での研修を希望すると、「女の人には無理だから」と言われすぐには受け入れてもらえなかった。お産が24時間あり、大きな手術や緊急手術も頻繁にあるため、体力的に難しいというのがその理由だ。

 対馬氏が卒業したのは、男女雇用機会均等法が制定される前年の1984年。職場での男女差別をなくす機運が盛り上がりを見せていた頃だった。対馬氏は「大丈夫です。ぜひ入れてください」と言い張り、東大病院産婦人科への入局がようやく決まった。

 「他の科では、女性医師は十分に仕事をさせてもらえないという話を聞きました。でも、産婦人科はとにかく人手が足りず、テキパキと集中して仕事ができる人が重要でした。女性だからと、仕事をさせてもらえないことはなかったですね」と振り返る。

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