一流に学ぶ 「女性外来」の先駆者―対馬ルリ子氏
(第5回)
周囲に助けられた修行時代
保育園探しに奔走したことも
対馬氏は31歳で次女を出産。その直後、東大病院から茨城県の国立病院に転勤することになった。転勤先の部長にあいさつの電話をかけると、「子ども連れは絶対無理」と言われた。「絶対大丈夫です。できます」「いや、無理」と押し問答が続いたが、最終的には対馬氏が「ご迷惑はお掛けしませんから」と押し切った。
「何の根拠もなかったけれど、研修のためには何とかするしかない。結果、何とかなった。私、本当に楽天的なんですよ」と笑う。
院内の保育園に預けるつもりだったが、病院側から「看護師さんのための保育園で、医師の子どもは預かれません」と断られてしまう。勤務先に「迷惑掛けない」と宣言した手前、自分で何とかするしかなかった。やっとの思いで病院から離れた場所に保育園を見つけ、車で送り迎えすることになった。
「消化器内科の夫の方が当直が少なかったので、夜間は夫が子どもの世話をすることが多かったですね。夫の母、私の母、ベビーシッターさんも、友人も、みんな見るに見かねて助けてくれて。本当にいろんな人にお世話になりました」
国立病院での修行を終えて大学に戻ると、教授とともに産婦人科の手術で最も難しい子宮がんの広汎子宮全摘を執刀する機会があった。そして、「あなたはがんの手術までできる医者になりました、おめでとう」と一人前の医師と認められた。
「女には無理ってさんざん言われましたが、産婦人科医としての当面の目標は達成できました。続けていればいつの間にか周囲も認めてくれます」(ジャーナリスト・中山あゆみ)
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(2018/02/22 05:55)