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(第13回) 大学教授に就任 =マイナスからのスタート
昭和大学横浜市北部病院循環器センター長(教授)に就任し、社会的な地位を手にしたが、着任後すぐに間違った選択だったことに気付いたとい…
(第12回) 不安契機、善行心掛ける =「プラスの連鎖」と前向きに
手術の腕はどんどん上がり、症例数も伸びて手術数も年間493例、うち冠動脈バイパス手術は約350例でついに日本一になった。心臓血管外…
(第11回) オフポンプ手術で先陣 =「使命感」原動力に
数多くの症例を経験すると、従来の手術方法では救命できない重症患者に出会うことも増えた。天野氏の元には、他の病院では手の施しようがな…
(第10回) 新天地で年300症例 =失意の退職、気持ち固める
「もう現場に出てこなくていい」。父親の葬儀を終え、1週間ぶりに千葉県鴨川市の亀田総合病院に出勤した天野氏は、上司から突然言われた。…
(第9回) 父の死「無駄にせず」 =心臓外科医究める原点に
埼玉県内の大学病院で行われた父親の3度目の手術には厳選されたスタッフが集められ、天野氏も手術室内での見学を許可された。僧帽(そうぼ…
(第8回) 父親再手術も、3年後に悪化=執刀の上司と決裂
心臓外科医としての歩みを語る上で、欠かせないのが心臓弁膜症を患っていた父親の存在だ。父親は若い時から病弱だったが、天野氏が高校2年…
(第7回) 「先見の明」医局残らず =一般病院で手術能力磨く
入学時の初心を貫徹して、留年することなく1983年3月に日大医学部を卒業した。5月に医師国家試験に合格、順調に医師への第一歩を踏み…
(第6回)型破りの「文武両道」 =苦手克服より得意分野
「勉強ができるだけの偏差値エリートには負けない」「早く一人前になって患者さんを助けたい」。熱い思いで医学部に入学した天野氏は、浪人…
(第5回)日大医学部に入学 =経済格差を目の当たりに
日本大学医学部への入学が決まった天野氏が直面したのが、周囲との経済格差である。当時は私立大学の医学部となれば、親が医師という学生…
(第4回)パチンコに熱中、3浪目に =最後は猛勉強、医師の道へ
「次は何とかなるだろうという曖昧な気持ちでは行動が伴うはずもない」。天野篤氏は大学受験に続けて失敗し、2年目の浪人生活に突入した。…
(第3回)病弱な父見て医師志す =勉強のスイッチは入らず
高校時代の天野篤氏は勉強になかなか身が入らなかったが、医学部に進む気持ちは固まっていた。理由は二つあり、一つは親戚の医師の影響、も…
(第2回)スキー没頭、成績急降下 =高校からは「暗黒時代」
田園風景が広がる埼玉県蓮田市の自宅から、大宮駅で電車を乗り継ぎ、浦和市(現さいたま市)の埼玉大学教育学部付属中学に通い始めると、…
(第1回)手先器用なプラモ好き =実家は燃料店、教育熱心な母
「ガソリンが揮発油と言われていた時代で、手回しの計量機を使っていました」ー。戦後復興の息吹が残る1955年10月18日、天野篤氏は…