がん細胞の成り立ち

■多段階発がん
 いくつかの遺伝子異常の集積によってがんが発生する多段階発がん機構は、どの臓器においても一般的に受け入れられている概念です。これは、発がん物質の投与から実際の発がんに至るまでにある一定の期間が必要なこと、がんに至るまでのさまざまな病理学的変化がみとめられていること、がんに好発(発生しやすい)年齢があること、などの理由によるものです。
 また、最近の分子生物学の進歩により、さまざまな病理学的変化と遺伝子異常との関連があきらかにされてきたことも多段階発がん機構を証明する大きな要因の一つとなっています。
 多段階発がん機構は、イニシエーション、プロモーション、プログレッション、悪性変化の4つの段階に分けることができ、この発がん過程に少なくとも2回の遺伝子異常が関与していると考えられています。


□がんのイニシエーション
 イニシエーションとは、発がん物質がDNAを傷害すること、あるいはDNA複製時のエラーとして核酸に異常が生じることを指します。
 頻度としては、後者のほうが高いといわれています。DNAに生じたエラーが修復されずに次の複製がおこなわれると、この異常が固定されることになります。多くの場合、DNA複製エラーは細胞にとって無害ですが、たとえば増殖に関与する遺伝子にこの複製エラーが生じると、細胞は発がん過程の第一歩を踏み出したこととなります。これがイニシエーションの段階です。

□がんのプロモーション
 イニシエーションを受けた細胞がある条件下に置かれると、細胞は自律的に増殖を開始し、過形成性変化と呼ばれる状態になります。これがプロモーションの段階で、発がん過程の第2段階です。プロモーションをひき起こす原因をプロモーターといいます。たとえば食塩は胃がんのプロモーターの一つと考えられています。
 食塩だけでは胃がんになりませんが、胃の発がん過程を助長するものです。プロモーションは可逆性で、遺伝子異常ではないため、プロモーターが消失するとイニシエーションを受けた細胞の増殖もとまり、過形成性変化も消失することとなります。

□がんのプログレッション
 イニシエーションを受けた細胞がプロモーターの影響下に増殖しているとき、次の重要な遺伝子異常が生じると、細胞は腫瘍性変化を起こします。これがプログレッションと呼ばれるもので、発がん過程の第3段階です。

□がんの悪性変化
 プログレッションは不可逆性変化で、この段階の細胞に最終段階の悪性変化が生じてがんとなります。このような多段階発がん機構は大腸がんで研究が進んでおり、それぞれの過程に関与する遺伝子もわかってきています。


■DNAとその複製
 がんは前項で述べたように遺伝子の異常によって生じる病気です。からだをつくっている各細胞の中に核があり、その中にDNAが存在し、遺伝子はこのDNA上にあります。DNAとはdeoxyribonucleic acidの略で、デオキシリボ核酸あるいは通常、たんぱく質とゆるく結合しているためデオキシリボ核たんぱくとも呼ばれています。
 この核酸が多数つらなって長い鎖を形成しています。この鎖にアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)と呼ばれる4つの塩基が結合しています。DNAのもっとも一般的な型は二重鎖で、AとT、GとCが結合して、2本の逆平行鎖からなる二重らせん構造を形成しています。
 ヒトのDNA分子上には約60億の塩基対、遺伝子の数にして2万数千個の遺伝子があります。人間の遺伝子が完全にそろったものをヒトゲノムといいます。通常、DNAは核内に溶液のかたちで存在し、遺伝子は活発にたんぱく質を合成しています。細胞が分裂するときには、DNAは凝縮して染色体となります。
 DNA複製の基本的メカニズムは1953年に分子生物学者のワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造モデルを発表したときにすでに予測されています。DNAは1対の鋳型であり、それぞれの鋳型はおたがいに相補的に結合しています。複製の際には、まずその結合がはずれ、2本の鎖が巻き戻されます。次にそれぞれの鎖が鋳型となって、新しい対合の鎖が形成されます。その結果、もとは1対の鎖だったものが2対の鎖となり、塩基対の順序も正確に複製されます。


■DNA複製エラー
 ヒトの細胞に含まれるDNAは、前述したように約60億の塩基対よりなっています。複製の際、この膨大な数の塩基配列が正しくコピーされることが必要です。しかし、アデニンとチミン、グアニンとシトシンの相補的結合がいつも正しくおこなわれるとは限りません。このまちがいをDNA複製エラーといいます。
 生物はこのようなまちがいを修復する機構を何種類も備えています。その結果、高い精度の複製がおこなわれますが、この修復機構に欠陥があると、がんの発生につながる可能性があります。

■遺伝子の異常
 遺伝子の異常には体細胞変異と胚細胞変異があります。体細胞変異とは、からだを構成する細胞に起こる遺伝子変異をいいます。体細胞変異は個々の細胞で起こるため、血液から得られる血球細胞を調べても検出することはできません。
 また、体細胞変異はそれがたまたま生殖細胞(胚細胞―卵子・精子)に起こらないかぎり遺伝することはありません。
 いっぽう、胚細胞変異とは、卵子あるいは精子に起こった変異をいいます。胚細胞変異は新規に起こることもありますが、多くは親世代から遺伝して受け継がれてきたものです。胚細胞変異が遺伝した場合には、その個体のすべての細胞が同じ変異をもつため、白血球のDNA分析で変異を検出できます。
 遺伝子異常をひき起こす代表的なものに突然変異があります。突然変異はある一定の頻度で起こってくるものです。このような突然変異をもたらす原因として、放射線や紫外線、アルキル化剤に代表される化学物質など、外的要因がDNA損傷をひき起こすためと考えられてきましたが、突然変異の原因の大部分は生物自身に内在している内的要因であることがあきらかになってきました。そのなかでもさきほど述べたDNA複製エラーがもっとも重要で、その発生頻度はきわめて高いとされています。
 がんは遺伝子の異常により起こってくる病気ですが、通常卵子や精子内の遺伝子には異常がないため、子に遺伝することはありません。
 いっぽう、数は多くありませんが卵子や精子に遺伝子の異常があり、子に遺伝するがんもあります。この遺伝子異常と遺伝とを混同しないように注意しなければなりません。

■がん遺伝子とがん抑制遺伝子
 正常なからだにもともと存在する遺伝子のなかで、特に細胞の増殖に関与する遺伝子が多数あります。ある遺伝子は細胞増殖を促進する作用をもち、またある遺伝子は細胞増殖を抑制するはたらきをもっています。これらの遺伝子が相互に協調して正常なからだを保っています。がん遺伝子とは細胞増殖を促進するはたらきをもっている遺伝子の仲間です。
 いっぽう、がん抑制遺伝子とは細胞増殖を抑制するはたらきをもっている遺伝子の仲間です。つまり、がん遺伝子は自動車のアクセル、がん抑制遺伝子はブレーキのようなものです。アクセルもブレーキも正常にはたらいていれば事故は起こりませんが、どちらかに異常が生じると自動車はコントロールを失います。
 遺伝子は通常、父親由来の遺伝子と母親由来の遺伝子が対をなして細胞の核に存在しています。これを対立遺伝子と呼びます。がん遺伝子は母親由来・父親由来の対立遺伝子のどちらか一方に異常が生じれば活性化して、細胞の無秩序な増殖促進や悪性化が引き起こされます。
 いっぽう、がん抑制遺伝子は対立遺伝子の両方とも不活性化した場合に、その機能が失われます。がん抑制遺伝子の異常は、対立遺伝子の一方が欠失し、もう一方に変異がみられることが多く、LOH(loss of heterozygosity:ヘテロ接合性欠損)と呼ばれています。このようにがんの発生にはがん遺伝子とがん抑制遺伝子の異常が密接に関係していると考えられています。

医師を探す