医学トップの視座

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21世紀の日本社会に貢献できる医師像を示す―山梨大学医学部

 山梨大学医学部は1980年に開校した山梨医科大学を前身とし、2002年、山梨大学との統合によって現在の体制となった。恵まれた自然環境と、教職員・学生間の風通しの良さをフルに生かし、山梨県の医療を支えつつ、世界レベルの臨床家、研究者を輩出しようとの大いなるビジョンを示している。中尾篤人医学部長は「地域医療と国際的な業績は一見並び立たないように見えるでしょうが、大学の医学部にはそれが必須ですし、実現可能だと考えています」と話す。

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 ◇「地域の中核、世界の人材」を目指し

 山梨大学医学部は「国民の健康を支える医療人育成」をキャッチフレーズとし、深い人間愛と広い視野を持ち、医の倫理を身に付け、科学的根拠に基づいた医学的知識、技術を備え、地域医療や国際医療に貢献できる医療人や国際的に活躍できる優れた研究者を養成する教育・研究を行っている。

 「大学が掲げるキャッチフレーズ――『地域の中核、世界の人材』をベースに、山梨県唯一の医学部である誇りと責任感を携えた教育機関だと思っています」

 前期入試を行わず、後期入試のみで入試を行っている全国で唯一の大学医学部が山梨大学医学部だ。そのため、惜しくも難関医学部に合格しなかった受験生が多くチャレンジし、合格水準が高いことでも知られている。医学部長はその点がむしろ短所となってしまわないよう、教育プログラムに細心の配慮を払っている。

 「偏差値の高さは、時として人間としての狭量、視野の狭さにつながりかねません。医師としての専門性にプラスアルファの人間力を養えるよう企業やNPO団体から講師を招いたり、最近では薬害エイズの被害者を講師とした講演を開いたり、さまざまな試みを実施しています」

 そういった諸施策は、21世紀に求められる医師像理解へのアプローチにもなっているという。

 「その昔、医学は『学んで、実施する』ことが肝要でしたが、これからはそれだけでは通用しないでしょう。世の中のことを広く受け止めて医学や医療に取り組むために、社会一般のことを学んだ経験は、必ず役に立つと考えています」

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 ◇研究医養成プログラム

 15年前にスタートさせた「研究医養成プログラム(ライフサイエンスコース)」は、国立大学医学部が同様の取り組みをする先駆けになったものと自負する。このコースでは医学科学生を大学院講座に受け入れ、課外時間や学期間の休暇を利用し、在学中から大学院に準じた研究教育を行う。毎年120人前後の学部生の中から10人ほどが参加しているが、このコースで教育を受けた学生たちは「サイエンス・インカレ」での最高賞受賞など、優れた成果をいくつも上げている。同プログラムを経験した卒業生たちの多くが、現在、現役の医師として臨床と研究の最前線で活躍している。

 ◇脳科学が未来戦略

 地方大学医学部が、日本はおろか直接世界に発信するような特色を持つために――未来戦略として打ち出したのが、脳科学。しかも、グリア細胞に特化した研究を行うと決め、日本中から人材を集め、環境整備を進めている。環境整備の一環として現在、最も力を入れているのが、2019年10月に大学院総合研究部(医学域)付属施設として設置された学際的脳-免疫研究センター(Yamanashi Interdisciplinary Brain-Immune Research Center; YiBIC)での研究活動の融合だ。

 YiBICでは、脳-免疫連関研究のデータ、技術、リソース、人などの情報を一元管理・整理し、研究の効率化、研究連携を進め、研究を飛躍的に発展させることに加え、専門的、一般的情報の発信、人材育成、社会貢献を加速させることを目指している。

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 ◇免疫学基礎研究の道を歩む

 中尾医学部長は神奈川県出身。県内有数の進学校から千葉大学医学部に進み、卒業後は国保旭中央病院で初期臨床研修を受けた。医師になった動機は、人気漫画『ブラックジャック』への憧れだったという。

 「なのに外科医にならなかった理由は、二つありました。外科医に必要な手先の器用さがないと自覚したこと。そして、それ以上に、医学部授業で免疫学がやりがいある分野だとわかったことです。卒業後は、千葉大学の第二内科に入局し、アレルギー、膠原(こうげん)病を学ぶこととしました」

 結論から言えば、卒後6年目のスウェーデン留学で基礎研究の魅力に触れ、以後、一貫して研究畑を歩んだ医師人生なのだが、国保旭中央病院での4年間の臨床研修は今も大きな力となっているとのこと。

 「当時は臨床医になること以外考えておらず、医療界ではかなり有名だった同院の厳しい臨床研修も決して苦にはなりませんでした。今でもよく思い出すのは、死亡した患者さんの解剖で死亡原因を究明する取り組みを重視していたこと。解剖から学んだことはどれも貴いことばかりですが、解剖を実施するために遺族に献体のお願いをする業務も研修医の仕事だったのが重要でした。遺族の皆さんから信頼と理解を得るためにどうすべきか、何をすべきか若輩ながらに努力した経験が私を大きく育ててくれたと実感しています」

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 ◇21世紀の医師像

 「良質な初期臨床研修のおかげで、たった今、内科臨床をすることになっても、あまり臆することはありません」と言う中尾医学部長は、そのバランス感覚を背景に医学生の養成ビジョンを構築している。

 例えば、現代の最先端研究者に求められる要件は、一昔前とはまったく違う。人類を救えるような業績をなすには、いかに優れた研究チームを編成し、運営するかが求められる。それは例えれば、「映画監督が傑作を作り上げる」ような作業なのだそうだ。

 一方臨床医はと言えば、例えばゲノムに関して、研究者レベルの知識までは求められないが、速やかに解釈を整理できなければ不可能な治療が次々に実用化されるであろう。聴診器一つで患者を救える時代は隔世となりつつあるのだ。

 そして、だからこそと中尾医学部長が力説するのが、時代を正しく感じ取る力。それが21世紀にふさわしい医師を形成すると信じている。

 「技術の進展は、医師にとって正の働き掛けをするだけとは限りません。負もあり得る。AI(人工知能)には、必ずそういった側面が現出するはずです。もしかしたら、医師から仕事を奪うかもしれないのです。

 そんなとき、シングルマザーの子育て支援のボランティアで学んだことが『人間力』として発揮され、医師としての輝きにつながるかもしれない。大切なのは、最先端の技術や理論にしっかりと向き合うことと同時に、人の気持ちを理解すること、人としての幅を広げることへの努力も怠らない。その継続こそが、21世紀に医師に求められることへの正しい対応になるのだと思うのです」
(ジャーナリスト・清水洋一)


【山梨大学医学部 沿革】
1978年 山梨大学構内において山梨医科大学が開学
    80年 山梨医科大学が開校(学生受け入れ開始)
    83年 医学部付属病院(15診療科、4中央診療施設)を設置、医学部付属病院が診療業務を開始
    95年 医学部看護学科を設置
    99年 大学院医学研究科を同医学系研究科に改称。大学院医学系研究科(修士課程)に看護学専攻を設置
2000年 「山梨大学との統合を推進する合意書」に調印
    02年 旧・山梨大学と旧・山梨医科大学を統合し、山梨大学が開学
    04年 国立大学法人山梨大学が発足
    14年 大学院総合研究部を設置
    16年 大学院医工農学総合教育部(修士課程 生命医科学専攻、看護学専攻)を設置