「誰も見向きもしない石ころを磨き上げ、ダイヤモンドに仕上げていく。混沌(こんとん)とした状態の中から立ち上げるところに、大きな魅力を感じる」。本庶佑さんは京都大の講義で若い学生に研究の醍醐味(だいごみ)を説いてきた。自身も何年も磨き続け、がん患者に希望を与える新薬につながった。「ダイヤモンド」は確かに輝いた。
 京都市出身。医師だった父親が山口大教授になったため、少年時代を山口県宇部市で過ごした。活発でよく遊ぶ子どもだった。
 中学に入ると自分から進んで勉強するようになり、県立宇部高校時代の成績はトップ。父親をはじめ親戚に医学者が多いことに加え、「多くの人に貢献したい」との思いから1960年に京大医学部に進んだ。
 医学部時代に読んだ生物学の本に感銘を受け、分子生物学に興味を持った。71年、米国に留学。抗体遺伝子の研究を始め、免疫分野に研究を広げた。帰国する際は「日本の研究体制では若手の自由な研究は難しいのでは」と不安を持ったが、そうした体制を突き崩したいとの思いもあった。
 「一生を懸けるなら、リスクが高くてもやりたいことをやるべきだ」。帰国後あえて難しいテーマを選んだ。体内でさまざまな種類の抗体を作り出す作用「クラススイッチ」。帰宅する電車の中でアイデアが浮かび、自宅に帰って検討。翌朝大学で全てのデータを確認した。
 研究室のメンバーで大学院生だった石田靖雅さん(現・奈良先端科学技術大学院大学准教授)が免疫細胞の表面で発見し、92年に発表した遺伝子「PD-1」。どんな機能があるのか不明だったが、本庶さんらは粘り強く研究を進めた。
 98年にマウスの実験でPD-1が免疫を抑える役割を果たしていることが判明。2002年には、がんやウイルス感染症の治療に効果があることを実験で確認した。本庶さんは「患者さんの役に立ちたいと思っていた。非常にうれしかった」と振り返る。
 当初は難色を示していた製薬会社と交渉して共同研究を進め、14年にはPD-1を標的とする治療薬が初めて認可された。患者によっては非常に高い効果がある。
 最初は価値が分からなかったが、好奇心と勇気を持って研究を続け、道を開いた。「基礎研究は非常に重要だが、成果が社会に還元されるまで20年くらいかかる」。すぐに結果を求めたがる風潮に、本庶さんは警鐘を鳴らしている。 (C)時事通信社