富山県の神通川流域で発生した四大公害病の一つ「イタイイタイ病」をめぐり、住民側の主張が初めて認められ、公害病の歴史を塗り替えた一審勝訴から30日で50年。「何とかせにゃならんと思った」。元原告らは、大企業を相手に立ち上がった半世紀前をこう振り返る。
 原因企業の三井金属鉱業の責任を追及した訴訟で、原告の一人として闘った高木良信さん(90)は「負けるわけないと思った」と回想する。当時から暮らす萩島地区(富山市婦中町)は、戦後間もなく稲の不作が目立つようになった。腰が曲がる人が増え、祖母も長く寝たきりに。子どもながらに「何とかせにゃならん」と感じたという。
 祖母ら多くの患者を診察した萩野病院の故萩野昇医師が「原因は神岡鉱山から流れる鉱毒だ」と唱えたことで司法闘争を決意。大企業と対決する不安はあったが、1967年に新潟水俣病をめぐる裁判所の現場検証を見学し、「公の機関に認めてもらわないと仕方ない」と気持ちを強くした。
 高木さんらの呼び掛けで、一審の訴訟に参加した原告は28人に上る。富山地裁に示した被害者一覧には、「骨を取ってでも、何が悪くてこんな痛い目に遭うのか徹底的に調べて」と言い残し、55年に62歳で亡くなった母よしさんの名も記し、遺体の解剖所見も併せて提出した。
 三井金属側は「カドミウムの人体への影響は未解明」として発症との因果関係を否定し、全面的に争った。しかし、富山地裁は71年6月30日、原因物質はカドミウムと断定。同社に計5700万円の損害賠償を命じた。
 「よくぞ勝てたな」。当時は小学生だったというイタイイタイ病対策協議会の高木勲寛会長(79)も一審勝訴の瞬間をよく覚えている。住民側は72年の控訴審でも全面勝訴し、被害者への賠償や汚染土壌の復元を勝ち取った。「裁判がなければ患者の救済はなかった」と話す。
 住民側は二審勝訴後、三井金属と「公害防止協定書」を交わした。以来、毎年続く神岡鉱山への立ち入り調査は7月で50回目を迎える。こうした努力が実り、「神通川の水はきれいになった」と評価する高木会長。「まだ通過点。これからも立ち入り調査をし、私たちは下流でしっかり監視していく」と力を込めた。 (C)時事通信社