新型コロナウイルスの感染者数は急増を続け、2020年3月24日には世界の累計で約40万人、死者は2万人に迫ろうとしていた。この日が、東京五輪にとって運命の日となった。
 午後7時23分、安倍晋三首相(当時)が公邸に入った。午後8時から行われる国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長との電話会談のためだった。同席したのは東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長、菅義偉官房長官、橋本聖子五輪担当相(いずれも当時)と、小池百合子東京都知事。
 会談でまず確認されたのが、五輪を中止しないこと。安倍首相から1年程度の延期を提案されたバッハ会長は、「100%同意する」と応じた。近代五輪で初めてとなる延期は、45分ほどでまとまった。
 延期はIOCにとっても避けられない状況だった。バッハ会長はかたくなに「予定通り開催」と言い続けていたが、IOC委員や選手から疑問の声が上がり始め、カナダやオーストラリア、ドイツなどの多くの国のオリンピック委員会や競技団体が反対の姿勢を示し、追い詰められていた。
 午後9時すぎ、公邸前に集まった報道陣を前に、安倍首相は延期の必要性を強調した。「今後、人類が新型コロナウイルス感染症に打ち勝った証しとして、完全な形で東京オリンピック・パラリンピックを開催するために、バッハ会長と緊密に連携をしていくことで一致した。日本として開催国の責任をしっかりと果たしていきたい」
 21年夏に感染症が収束し、「完全な形」で大会が開催できる保証はなかった。ではなぜ、2年ではなく1年延期だったのか。会談が行われる直前、安倍首相と面談した森会長は、2年延期を提案したという。しかし、首相は1年延期案を譲らなかった。
 政府主導で決まった大会の延期。再延期はしないという意思もIOC側に伝えられ、臨時理事会で承認された。
 安倍首相は3月27日の参院予算委員会で1年程度の延期を提案した理由を問われ、こう答えている。「例えば2年といったあまりにも長期の延期となれば2020年東京大会へのモメンタム(勢い)が失われ、別の大会のようになってしまうという懸念があった」。自民党総裁としての任期満了を、21年秋に迎えることへの言及はなかった。 (C)時事通信社