開会式直前の20日の国際オリンピック委員会(IOC)総会。バッハ会長は東京五輪1年延期の秘話を明かすように、世界中にインターネット中継された演説で語った。
 「昨年パンデミック(世界的流行)が始まった時、選択を迫られた。中止か、延期か。中止は簡単で、(損害を補償する)保険もあった。だが実際、中止が私たちの選択肢になったことはない。IOCは決して選手を見放しはしない」
 主役はアスリート。その言葉にうそはないのかもしれない。ただ、開催可否を決めた影には別の役者がいた。IOC収入の約7割を占める放映権料を支払うテレビ局。彼らへの忖度(そんたく)が、混乱を助長した。
 延期に伴う経費負担減と感染症対策のため、日本側は大会の簡素化を打ち出した。だが、IOCは放映契約を盾に、開閉会式の時間短縮や競技数を減らすなどの規模縮小を拒んだ。現場に無理が生じ、当初の式典演出チームは昨年末に解散した。
 後任のクリエーティブディレクターは出演候補者の容姿を侮辱したことが批判され、3月に辞任。開幕直前になると楽曲の制作担当者やショーディレクターが、過去の問題行動で退場する悪循環に陥った。ドタバタの伏線はあった。
 責任追及の矛先は常に大会組織委員会に向いた。難題を丸投げしたIOCは人ごとのような態度を貫いた。一方でコロナ禍は収束せず、バッハ氏が「五輪の心臓部」と誇る選手村では、入村を拒否する者がいる。
 IOCが「世界で最も厳しい」と強調する感染予防策も、隙が多いとの指摘がある。ほとんどの会場は無観客で、選手を後押しする大声援は聞こえてこない。五輪精神は忘れ去られ、開催だけを目的にした祭典が始まる。 (C)時事通信社