遺伝性乳がん卵巣がん(HBOC)は、BRCA1/2の生殖細胞系列の病的バリアントに起因する乳がんや卵巣がんをはじめとしたがんの易罹患性症候群である。これまで診療指針として『遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)診療の手引き2017年版(以下、手引き)』があったが、今年(2021年)7月に初の診療ガイドラインである『遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン2021年版(以下、診療GL)』〔編:日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)〕が刊行された。先日開催された「ゲノム情報を活用した遺伝性腫瘍の先制的医療提供体制の整備に関する研究」班の主催によるウェブセミナーでは、ガイドライン作成に携わった複数の医師が要点を解説した。

がんのガイドラインではなく、遺伝のガイドライン

 診療GLはBackground Question(BQ:十分なエビデンスがあり、既知の課題)、Clinical Question(CQ:臨床的課題、文献検索を実施)、Future research Question(FQ:文献検索の結果、エビデンスが不十分)から成る。FQに関して推奨ではなく「ステートメント」として見解が述べられている。

 聖路加国際病院(東京都)腫瘍内科医幹でガイドライン編集委員の北野敦子氏はガイドラインの目的について「質の高い科学的根拠に基づいた、患者・医師の双方が納得できる『Shared decision Making(SDM:協働意思決定)』を実践すること」と解説。「診療GLはHBOCと診断された患者と血縁者が今後の治療や監視療法(サーベイランス)に関する意思決定を支援するために作成された。HBOCはエビデンスが不十分で不確実性が多い疾患であり、患者と医療者のSDMが極めて重要。多様な視点に基づくアウトカム設定、客観的手法を用いたエビデンス評価、作成プロセスの透明化、複数の基準から判断した推奨の作成など、患者と血縁者の価値観の多様性に配慮し作成方法を工夫しており、臨床現場で活用いただきたい」と述べた。

 岡山大学大学院臨床遺伝子医療学教授でガイドライン作成グループ遺伝子診断・遺伝カウンセリング領域リーダーの平沢晃氏は、診療GLのコンセプトについて「がんのガイドラインではなく、遺伝のガイドライン」と述べた。すなわち、BRCA病的バリアントという遺伝的な特性としてのHBOCと、その表現型としての乳がん、卵巣がん、前立腺がん、膵がんという考え方であり、がん未発症者と既発症者の区別はないという。

 BRCA病的バリアント検出の臨床的意義は、患者・家族への医学的介入が可能となることである。治療においてはPARP阻害薬が適応となり、有効性が期待される治療選択肢が得られるというメリットがある。予防においては、未発症臓器を対象としたリスク低減手術〔乳房切除術(RRM)、卵管卵巣摘出術(RRSO)〕やサーベイランスが可能となる。ただし、診療GLの推奨と保険診療で提供可能な医療には乖離があることから、同氏は「患者・家族と相談しながら、最適と判断される医療を賢く活用することが望ましい」と解説した。

乳がん:膵がんの血縁者を持つ乳がん患者もBRCA遺伝学的検査の対象に

 次に、表現型である乳がん、卵巣がん、前立腺がん、膵がんについて4人の演者が講演した。がん・感染症センター都立駒込病院外科(乳腺)・遺伝子診療科医長でガイドライン作成グループ乳癌領域リーダーの有賀智之氏は、BRCA遺伝学的検査の実施が推奨される対象について「表1の通りで、血縁者に膵がん患者がいる乳がん患者も対象となる」と解説。膵がん患者3,030例の検討では、8%に生殖細胞系列の病的バリアントが認められ、その内訳はBRCA2が23%、BRCA1が7%であったと報告されている(JAMA 2018; 319: 2401-2409)。

表1. BRCA遺伝学的検査の実施が推奨される乳がん患者

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 乳房温存療法は、手引きでは「基本的には推奨されない」とされており、診療GLでも「条件付きで行わないことを推奨する」とされた。診療GL作成時に行われたメタ解析の結果、BRCA病的バリアントを有する乳がん患者に対する乳房温存療法は再発率が高く、この傾向は観察期間が長いほど明確になることが示されたという。ただし、生存率の悪化は認められないことから、診療GLでは「温存手術を強く希望し新規乳癌発症のリスクや継続的なスクリーニングの必要性等を理解したうえで選択する場合には、これを否定しない」としている。

 HBOCに対するRRMは昨年(2020年)4月に保険適応された(関連記事「わが国における乳房予防切除の実情を探る」)。診療GLではBRCA病的バリアントを有する乳がん患者に対する対側RRM(CRRM)、乳がん未発症のBRCA病的バリアント保持者に対する両側RRM(BRRM)をともに条件付きで推奨。ただし、いずれも患者と医療者のSDMが極めて重要であり、「これらを実践できる遺伝カウンセリングを含む体制が整っている、保険診療での実施基準を満たす施設で行うべき」と付言している。

 造影乳房MRIによるサーベイランスについては、BRCA病的バリアントを有する乳がん患者、乳がん未発症のBRCA病的バリアント保持者ともに条件付きで推奨しているが、後者で卵巣がん未発症の場合は自費診療となるため注意が必要である。

 なお、乳がん領域における課題として、同氏は「BRCA1BRCA2で異なる予防戦略を考慮すべきかもしれない。PARP阻害薬は条件付きで推奨されているが、HER2発現状況や化学療法歴による治療効果の相違や、生殖細胞系列のBRCA1/2病的バリアント以外の変異に対する効果、周術期投与の効果など、不明点を明らかにする必要がある」と付言した。

卵巣がん:HBOCの臨床病理学的特徴を考慮したRRSOが求められる

 東京慈恵会医科大学産婦人科主任教授でガイドライン作成グループ卵巣癌領域リーダーの岡本愛光氏は、BRCA遺伝学的検査の実施が推奨される卵巣がん患者について「診療GLでは、全ての卵巣がん・卵管がん・原発性腹膜がん患者に対し家族歴に関係なく考慮してもよいとしている」と述べた。

 BRCA病的バリアント保持者に対するRRSOでは、HBOCの臨床病理学的特徴を考慮した手順と術式が求められる。診療GLでは「低侵襲手術で行い、切除範囲を意識し、かつ術中播種を予防する手術操作」を推奨している。具体的には表2の通りで、施行時の子宮合併切除については「一定の見解は得られていない」としている。妊孕性温存などの理由によりRRSOが実施できない場合のサーベイランスについては、「代替法として妥当であることを示すエビデンスはない」と補足しつつ、「30〜35歳から医師の判断で経腟超音波検査および血清CA125検査を考慮してもよい」としている。

表2. RRSOの標準的な手順と術式

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〔表1、2とも『遺伝性乳癌卵巣癌(HBOC)診療ガイドライン2021年版』〕

 BRCA病的バリアント保持者に対するRRSOを推奨するか否かについては、条件付きで推奨している。同氏は「診療GL作成時のシステマチックレビューでは、卵巣がん発症予防および全生存(OS)の延長が示されており、エビデンスの確実性は強い」と解説した。

 プラチナ製剤を含む初回薬物療法が奏効したBRCA病的バリアントを有する卵巣がん患者に対するPARP阻害薬による維持療法については、SOLO-1試験(関連記事「オラパリブ、卵巣がん維持療法で劇的効果」)やPAOLO-1試験をはじめとした4件の第Ⅲ相ランダム化比較試験のシステマチックレビューに基づき、条件付きで推奨された。BRCA病的バリアント保持者における卵巣がん発症リスク低減のための低用量経口避妊薬(OC)または低用量エストロゲン・プロゲスチン配合薬(LEP)の投与についても条件付きで推奨している。

前立腺がん:より低値からのPSAサーベイランスを

 慶應義塾大学泌尿器科学教室講師でガイドライン作成グループ前立腺癌・膵癌・悪性黒色腫・疫学領域作成委員の小坂威雄氏は、前立腺がん未検出のBRCA病的バリアント保持男性に対する前立腺特異抗原(PSA)によるサーベイランスについて「大規模コホート研究IMPACT(Eur Urol 2019;76: 831-842)において、40歳からのより低いPSA値(3.0ng/mL)をカットオフ値としたサーベイランスの有効性が示されており、診療GLでも40歳からのPSAによるサーベイランスを条件付きで推奨している」と説明。今後の課題として、「死亡率への影響」「生検の不利益・費用効果」「採血以外のサーベイランス手段」「陽性後の診療体制」を挙げた。

 なお、前立腺がんには、①BRCA2の生殖細胞系列の病的バリアントは家族歴を問わず転移性前立腺がんで多い(N Engl J Med 2016; 375: 443-453)②日本人データでも前立腺がん患者では対照と比べてBRCA2の生殖細胞系列の病的バリアントの有する頻度が有意に高い(J Natl Cancer Inst 2020; 112: 369-376)③進行前立腺がんでは体細胞のBRCA病的バリアントの頻度が高い(JCO Precis Oncol 2017: PO.17.00029)―という特徴がある。

 これらを踏まえ、前立腺がん領域のFQでは、BRCA1/2病的バリアントを有する血縁者を持つ前立腺がん患者やHBOC関連がん歴がある2人以上の血縁者を持つ前立腺がん患者に加え、遠隔転移またはリンパ節転移を有する転移性前立腺がん患者もBRCA遺伝学的検査の対象になるとされている。

 治療については、BRCAの生殖細胞系列の病的バリアントを伴う前立腺がんは予後不良であることから、「サーベイランスではなく積極的な介入が望まれる」「新規内分泌療法後の転移を有する症例に対して、PARP阻害薬が有効である」としている。なお、診療GL刊行に先立ち、昨年12月にBRCA病的バリアント陽性の遠隔転移を有する去勢抵抗性前立腺がんに対してPARP阻害薬オラパリブが承認されている(関連記事「前立腺がんと膵がんで初のPARP阻害薬が承認」)。

 最後に同氏は、今年4月に同大学病院にHBOCセンターが開設され、診療科を横断して連携しながらHBOCの治療に取り組んでいることを紹介した。

膵がん:プラチナ感受性膵がんにオラパリブ維持療法を推奨

 がん研究会有明病院(東京都)肝・胆・膵内科副部長でガイドライン作成グループ前立腺癌・膵癌・悪性黒色腫・疫学領域作成委員の尾阪将人氏は講演の冒頭、膵がんの一次治療について解説した。

 切除不能膵がんに対する標準治療は化学療法であり、全身状態良好の遠隔転移例に対してはFOLFIRINOX(フルオロウラシル+レボホリナート+イリノテカン+オキサリプラチン)療法またはGnP(ゲムシタビン+ナブパクリタキセル)療法が推奨されている。しかし、毒性が強いため、新たな治療オプションが求められていた。

 そのような背景の中、第Ⅲ相試験POLOにおいて、BRCA1/2の生殖細胞系列の病的バリアントを有しプラチナ製剤ベース化学療法で治療後の転移性膵がん患者に対し、オラパリブを用いた維持療法により無増悪生存(PFS)の有意な延長が示された(関連記事「膵がんでもバイオマーカーに基づく治療の時代へ」)。診療GLではこの結果を踏まえ、BRCA病的バリアントを有するプラチナ感受性切除不能膵がんに対するPARP阻害薬による維持療法が、条件付きで推奨された。POLO試験について、同氏は「膵がんで初めて分子標的薬の効果が示された。一方、OSへの影響、GnP後の維持療法としての有効性、体細胞変異例に対する有効性については今後の検討課題である」と述べた。

 どのような膵がん患者にBRCA遺伝学的検査を実施すべきかについては、現状ではエビデンスに乏しいことから、ガイドラインではFQが設定された。化学療法の選択肢が乏しい膵がん治療においては、遺伝学的検査の結果により治療選択が変更となる可能性がある。具体的な対象としては①BRCA1/2病的バリアントを有する血縁者を持つ②HBOC関連がんを発がん歴がある2人以上の血縁者を持つ③遠隔転移または術後再発を有する―膵がん患者に対し、BRCA遺伝学的検査が推奨されている。スクリーニングについては、第一度近親者に膵がんの家族歴があるBRCA1/2病的バリアント保持者に対し、MRIまたは超音波内視鏡を用いたスクリーニングを考慮するとしている。

 同氏は「膵がん領域に関しては治療、スクリーニングともにエビデンスが不足しており、今後のデータの収集と解析が課題である」とまとめた。

 なお、セミナー後の質疑応答において、「HBOC」という名称に前立腺がん、膵がんが含まれていない点への疑問が挙がった。平沢氏は「前立腺がん、膵がんなどにも目を向ける必要があり、名称を変更しようという提案もなされているが(Nature 2019; 571: 27-29)、現時点ではコンセンサスの形成に至っていない」と回答。また最近、JOHBOCのロゴマークがリニューアルしたことに触れ、「乳がん・卵巣がんだけでなく他の関連腫瘍を考慮し、ピンク(乳がん)と青緑(卵巣がん)を中心にしつつ、持続可能な開発目標(SDGs)と同じ17の多様な色により二重螺旋を表現する意匠になった」と紹介した。

(安部重範)