復帰10年前の1962年、わずか14室の観光ホテルから始め、沖縄を代表する観光グループに成長した「かりゆしグループ」(沖縄県恩納村)。同社を率いる平良朝敬オーナー会長(67)に聞いた。
 ―復帰前の沖縄観光とは。
 沖縄では太平洋戦争の地上戦が行われ、20万人以上の方が亡くなった。本島南部には戦没者らの碑が建立され、遺族会などが毎年、慰霊目的で沖縄を訪れていた。75年に沖縄国際海洋博覧会が開催され、観光業が注目されるようになった。
 ―当時は学生だった。
 東京の大学に通っているとき、友人と湘南の海へ泳ぎに行った。黒い砂浜に驚いたが、友人はこれが普通だと言う。「砂浜は真っ白なものだよ」と言って夏休みに沖縄に来てもらったら、青い海と白い砂浜を見て「これが海か」とびっくりしていた。このとき、沖縄の魅力は「海」だと確信し、私の原点になった。海洋博の翌年、沖縄の観光業は不況に陥り、学校をやめて22歳で家業のホテルを手伝うようになった。
 ―コロナ禍で沖縄の観光業は大打撃を受けた。
 観光客数は30年前の水準まで減った。まずは観光客数をコロナ前の1000万人に戻すロードマップが必要だ。観光客の滞在日数を延ばしたり、消費単価を引き上げたりといった沖縄観光の「質」の向上は、「量」の回復とともに取り組むべきだ。
 ―コロナ後の沖縄観光は。
 沖縄はアジアに開かれ、香港や韓国などの国際的なハブ空港を経由して欧州ともつながる。潜在的な魅力は大きい。ただ、コロナ後は国内外の空港との競争も激しくなる。今から手を打っていかなければならない。黙っていても沖縄に観光客が戻ると思っていたら大間違いだ。 (C)時事通信社