うつ病は世界人口の約4%が罹患しているとされるストレス性精神疾患で、さまざまな心身の症状を呈する。国立精神・神経医療研究センター(NCNP)神経研究所研究員の松野仁美氏らの研究グループは、うつ病モデルマウスを用いた実験から、持続的なストレス下では血液と脳を隔てる血液脳関門(BBB)の機能が低下し、脳内炎症を引き起こす新たな機序を発見したとMol Psychiatry(2022年5月26日オンライン版)に発表した。
うつ病患者ではフィブリノーゲン、VEGFが高値を示す
研究グループはこれまで、大うつ病性障害(MDD)患者の約20%で脳脊髄液中のフィブリノーゲンが高値を示すことを発見・報告している(Sci Rep 2015; 5: 11412)。フィブリノーゲンは血液凝固の重要な働きをする蛋白質であり、BBBの働きにより健康人の脳脊髄液中にはほぼ侵入しない。フィブリノーゲンが脳内に入ると、脳内免疫をつかさどる細胞のミクログリアが活性化し、脳内炎症を引き起こす。これは、MDD患者ではBBBの機能低下が生じ脳内炎症が惹起される可能性を示唆する。また、健康人と比べて、MDD患者では血管透過性の亢進作用を持つ血管内皮増殖因子(VEGF)の血中濃度が高いことが報告されている。そこで研究グループは、VEGFがうつ発症に伴うBBB機能低下に関与している―との仮説を立てて検証した。
持続的なストレスに伴うタイトジャンクションの崩れ
BBBは血液と脳組織間で必要な物の輸送を行うことに加え、血液からの病原体や有害物質の侵入に対するバリア構造として機能し、中枢神経系の機能を維持する働きを担っている。正常な脳では物質の透過性が厳密にコントロールされ、脳脊髄液中の蛋白質濃度は低レベルに維持されている。
検討の結果、脳脊髄液中の総蛋白質濃度およびフィブリノーゲン濃度が高いMDD患者では、血中VEGF濃度が高い傾向にあることが分かった。さらに脳脊髄液中の可溶性VEGFの受容体(VEGFR2)の濃度も高い傾向を示した。これらから、一部のMDD患者では血液中と脳内の両方でVEGFシグナルが過剰に働いていることが示唆された。
次に慢性拘束ストレス(CRS)を与えたうつ病モデルマウスを用いて検討したところ、うつ様行動の発現に伴い血液中および脳内のVEGFレベルが上昇しており、海馬と扁桃体で血管透過性が増大していた。
脳血管内皮細胞にはタイトジャンクション(密着結合)と呼ばれる細胞同士の接着構造があり、物質の透過性が厳密にコントロールされているが、うつ病モデルマウスでは健常マウスと比べて、接着構造に多くの隙間ができていた。また、血管内皮細胞が血液中の物質を細胞内に取り込んだ後、細胞内小胞に入れて脳組織側へ放出するトランスサイトーシスの異常な活性化も認められた。
血管透過性が亢進している脳領域では、ミクログリアの形態変化や炎症性サイトカインの発現増加が起きており、BBBの機能低下により脳内炎症が誘導された可能性が示唆された。VEGFR2の機能を薬理学的に阻害すると、うつ様行動が改善し、慢性ストレスによるBBBの透過性およびバリア構造の異常が有意に抑制された(図)。
図. 正常な脳と持続的なストレスを受けた脳
(NCNPプレスリリースより)
以上を踏まえ、松野氏らは「持続的なストレスにさらされると、血中および脳内のVEGFレベルが上昇し、血管内皮細胞のバリア構造異常などを生じさせてBBB機能が低下。ミクログリア活性化、炎症性サイトカイン産生を介した脳内炎症が惹起され、うつ様行動が誘発される可能性が示された」と結論。「VEGFR2の中和抗体がストレスによって生じるBBBの機能低下を抑制し、マウスのうつ様行動を抑制したことから、VEGFシグナルは治療標的になりうる。今回の知見は、ストレス性疾患の新規治療法の開発につながるものだ」と期待を寄せている。
(小野寺尊允)