銃撃を受けて死去した安倍晋三元首相は7年8カ月に及ぶ第2次政権下で、金融緩和と財政出動、成長戦略の「3本の矢」による経済政策「アベノミクス」を展開した。円安・株高を演出し、企業業績は上向いたが、コロナ禍の直撃を受けて日本経済の再生途上で退陣。その後も自民党の最大派閥の領袖(りょうしゅう)として経済政策に影響力を行使し続けたものの、「失われた30年」と呼ばれる長期停滞からの脱却は果たせずに、凶弾に倒れた。
 安倍氏が2012年末に政権に返り咲いた当時、日本企業は円高や高い法人税率など「6重苦」と呼ばれる事業環境にあえいでいた。アベノミクスを始動した安倍氏は「強い経済を取り戻す」と宣言。「第1の矢」として放たれた日銀の「異次元の金融緩和」で円高是正が進み、製造業を中心に最高益を記録する企業が相次いだ。ニューヨーク証券取引所では「バイ・マイ・アベノミクス(アベノミクスは買い)」とアピールし、在任中に日経平均株価は約2.3倍となった。
 「第2の矢」である積極的な財政出動も繰り返され、政権下での景気拡大は71カ月と緩やかながら戦後2番目の長さを記録。鈴木俊一財務相は8日夕に記者会見し、「デフレ脱却と経済再生を図るためにアベノミクスを展開し、効果も上げてきた」と功績をたたえた。日銀の黒田東彦総裁も「持続的な経済成長の実現に向け多大な成果を残した」とのコメントを発表した。
 ただ、「第3の矢」である成長戦略は大きな実を結ばず、経済の実力を示す潜在成長率は長らく0%台で低迷。好調な企業収益が賃上げに回って消費活性化につながる「経済の好循環」実現も未完のままとなった。
 日本経済は、政権下の19年4~6月期に実質GDP(国内総生産)が年率換算で557兆円のピークに達した。しかし、コロナ禍からの景気回復は遅れ、22年1~3月期はなお19兆円近く下回る。
 さらに、インフレ抑制に向け、米欧の主要中央銀行が金融引き締めに動く中、日銀の緩和継続がもたらす円安進行の副作用も目立ってきた。政権下での最安値である1ドル=125円を大きく上回る足元の円安は物価高を増幅させ、国民生活に重くのしかかる。その中でも安倍氏は「金融緩和を続けながら財政(出動)でインフレをカバーしていくことが正しい道だ」と強調し、アベノミクス継続による経済再生を訴え続けていた。 (C)時事通信社