アルツハイマー病研究の端緒は、1906年のAloysius Alzheimerによる認知症患者の脳組織における蛋白質プラーク沈着の報告である。その100年後に当たる2006年にNatureに掲載されたアルツハイマー病の論文に不正の可能性があることが、米・Vanderbilt UniversityのMatthew Schrag氏により指摘された。その検証を託されたScienceは調査を開始。6カ月の調査を経て疑惑を支持する結果を得たことから、詳細を2022年7月22日の誌面(Science 2022; 377: 358-363)で報じた。疑義はこれにとどまらず、同じ研究者による他の複数の論文でも認められ、調査は現在も継続されている。なお、こうした事態を受け、Natureは当該論文に7月14日付で一部の図に関して調査中との注記を加えている。

Simufilam調査を契機にAβ*56の疑義論文に行き当たる

 アミロイドβ(Aβ)の蓄積が神経細胞の損傷と機能不全の連鎖を招き認知症を引き起こすとされ、Aβ沈着阻止が妥当な治療戦略となった。しかし、Aβを標的とした数多くの臨床試験が行われたものの、米食品医薬品局(FDA)の承認に至ったのは現時点ではAduhelmのみである。アミロイド仮説に懐疑的な研究者が増えてきた2006年、疑義が指摘されているNature論文が発表された。

 Schrag氏がNature論文の捏造を見つけるきっかけとなったのは、2021年8月、Cassava Science社が開発中のアルツハイマー病治療薬Simufilamの開発根拠となる論文について調査を依頼されたことに始まる。Simufilamはアミロイド仮説に基づきAβをターゲットとした薬剤で、アミロイド仮説否定派であったSchrag氏はその依頼を引き受け、調査を行った。その結果、34件の論文において画像や数値に捏造の疑いを見つけたことから、臨床試験の参加者が不利益を被るリスクを考慮しFDAに進行中であったSimufilamの第Ⅲ相臨床試験の停止を求める請願書を提出した。

 Schrag氏はその後も独自に調査を継続。2021年12月、PubPeer(出版後査読を行うためのwebサイト)で「アルツハイマー病」と検索したところThe Journal of Neuroscience掲載論文にも改竄された画像を発見。米・Minnesota Medical SchoolのSylvain Lesné氏を筆頭または責任著者とする別の論文も精査されていることに気付き、Lesné氏の論文に検索範囲を広げて調査した。すると、2006年にNatureに発表された論文(Nature 2006; 440: 352-357)の画像改竄に行き当たった。

Aβ*56の存在を示す画像に疑義

 この論文は、アルツハイマー病のモデルマウス(Tg2576マウス)を用いた実験で、神経細胞の喪失を伴わずに記憶障害を発症しているTg2576マウスではAβサブタイプ(Aβ*56)の可溶性オリゴマーが記憶障害を引き起こしていることを発見、これを若いラットの脳に注入するとアミロイド斑や神経細胞の喪失とは無関係に、一過性の記憶障害が誘発されたというもの。現在のアミロイド仮説の基盤となった論文で、Web of Scienceによると約2,300件もの学術論文に引用されたという。

 Tg2576マウスの脳にAβ*56が存在したことを示すウェスタンブロットの画像で、異なるコントロール蛋白から取ったものであるにもかかわらず全く同じバンドが並ぶことから、Schrag氏は画像のコピーアンドペーストがなされた可能性があることを指摘した。しかし、研究不正と確定するには論文の未公開画像や、場合によっては生データにアクセスする必要があることから、Scienceに検証を託した。

 Scienceは、独立した2人の画像解析者や複数のアルツハイマー病研究者にSchrag氏の分析結果のレビューを依頼したところ、Schrag氏の指摘に対し強力な支持が得られた。Schrag氏と画像解析者の分析結果からは計20件以上の疑義のある論文が特定され、うち10件がAβ*56に関するものであった。

 Schrag氏は2022年、幾つかの雑誌に疑義に関して連絡。Lesné氏らは2つの論文(J Neurosci 2012; 32: 10253-10266Brain 2013; 136: 1383-1398)を訂正したという。

最大の懸念は科学に対する信頼の失墜

 アルツハイマー病の専門医である米・Kentucky大学のDonna Wilcock氏は、マウスの脳から分離精製したAβ*56を使用したと主張するこの研究に、長年、疑いを持っていた。可溶性Aβは不安定で、精製後でも複数のサブタイプがサンプル中に存在する可能性があり、認知機能低下がAβ*56のみによるものであるとは言い難い。そもそも幾つかの研究室がAβ*56の再現を試みたが失敗したことを報告している。

 Schrag氏により疑義が指摘されているLesné氏の5件の論文の共著者であるフランス・Caen-Normandy UniversityのDenis Vivien氏は、Lesné氏が提供した免疫染色画像に疑念を抱き、他の学生に再現を依頼したができなかったという。

 アミロイド仮説を支持しNature論文を13回以上引用したという米・Harvard大学のDennis Selkoe氏は、2008年に発表した2件の論文においてヒトでAβ*56を見つけることはできなかったとしている。ただし、アルツハイマー病研究は誠実に行われた注意深い実験でさえ再現性に乏しいことがある。さまざまな研究者らが、可溶性Aβと動物における認知機能障害に関する研究結果を報告していることから、Selkoe氏は広義でのアミロイド仮説は有効であると付言し、悪質な不正の事例によって人々が弱気にならないことを望むとした。しかし、もしAβを標的とした3つの薬剤(donanemab、gantenerumab、lecanemab)の第Ⅲ相臨床試験が全て失敗に終われば、アミロイド仮説は非常に危ういものになるとも指摘。同氏の最大の懸念は科学に対する信頼の失墜であり、科学者は明らかな不正行為を発見・公表し、それを正せることを示さねばならないと述べている。

Scienceによる報道を受け、エーザイは7月25日付で同社開発中の抗Aβプロトフィブリル抗体lecanemabとは一切関係がないとのリリースを発表。同薬については201試験でAβ除去作用と臨床症状悪化抑制の相関が認められており、現在、臨床第Ⅲ相Clarity AD試験が実施中である

宇佐美陽子