四大公害病の一つ、イタイイタイ病をめぐって患者らが起こした訴訟で、原告側の勝訴判決が確定してから23日で50年を迎える。学生カメラマンとして約4年にわたり患者の日常を撮り続けた林春樹さん(72)=愛知県在住=は「若い人はほとんど知らず、風化しかけているのでは」と危機感を募らせている。
報道カメラマンを目指して東京の写真学校に入った1968年夏、世間で注目を集め始めた公害病を撮ろうと富山へ。神通川沿いにテントを張り、イタイイタイ病治療の第一人者だった故萩野昇医師の病院に通った。
初めはかなり警戒されたものの、イタイイタイ病対策協議会(イ対協)の会長で、原告を率いた故小松義久さんに見いだされ、次第に患者や家族にも受け入れられるようになった。
イタイイタイ病では体内に蓄積したカドミウムが原因で骨折を繰り返すようになる。「患者さんが『痛い、痛い』と言うくらいで外見的に分かるものは何もない」。内面をどう引き出すか苦心しながら、東京と富山を行き来した。
72年の控訴審判決までに撮影した写真はフィルムで約1000本、約3万6000枚。「患者さんはただ流れてくる水を飲んで病気になった。何の罪もないことを社会に知らしめないといけない」との思いで撮り続けた。
判決確定後、「悲惨な状況を伝える必要がある」と、写真は全てイ対協に寄贈した。現在は、2012年に完成した県立イタイイタイ病資料館(富山市)で保管されているが、展示されているのは全体の1割に満たず、保存状態が良くないものもあるという。
「当時の写真はほとんど残っていないし、撮った人もいない。残しておいて良かった」という林さん。今後、写真のデジタル化などを通して資料が受け継がれることを強く望んでいる。 (C)時事通信社
「若い人知らないのでは」=患者追った学生カメラマン―イタイイタイ病判決50年・富山

(2022/08/22 14:16)