日本における医療費の自己負担率は原則3割だが、小児に対しては多くの自治体が助成を行っており、保護者負担が実質無料の市町村は少なくない。しかし、最近の行動経済学では、ゼロ価格(=無料)はごくわずかな金額と比較して需要を大きく増やす、すなわち「ゼロ価格効果」が存在する可能性が指摘されており、医療の無料化が過剰な医療需要につながっているとの懸念もある。そこで、東京大学大学院経済学研究科 同大学院公共政策学連携研究部・教育部教授の飯塚敏晃氏らは、小児医療におけるゼロ価格効果について検討。その結果をAm Econ J Appl Econ(2022; 14: 381-410)に発表した。
6県294市町村の10年分のデータを検証
日本の小児医療費は、市町村によって助成対象となる年齢や自己負担額が異なる。自己負担額を無料とす自治体がほとんどだが、10%、20%などの定率負担や1回の受診ごとに200円、300円といった少額の定額負担を課す自治体もある。
飯塚氏らは、医療サービスにおいてゼロ価格効果の存在が確認できれば、無料と無料以外の価格を巧みに使い分けることで、社会厚生を向上できる可能性があると主張。乳幼児を対象としたワクチンやコロナワクチンのような予防医療については無料にすることで大幅な利用増が見込める一方、抗生物質の不適切使用など過剰な医療に対してはわずかでも費用負担を課すことで大きく削減できる可能があるという。
そこで同氏らは、人口の多い6県294市町村における2005~15年の医療費助成の情報と医療統計データサービスを提供するJMDC社のレセプトデータを結合し、独自のデータセットを構築。助成対象となる年齢および自己負担額、導入のタイミングを調整した「Defference-in-differences method(差分の差分法)」を用いて分析を行った。
無料以外で自己負担の大きさは、さほど需要に影響しない
飯塚氏らはまず、月に1回以上外来受診する確率が無料時(43.9%)からどの程度低下するか、自己負担率別に検討した。200円、300円、500円の定額負担は平均的な自己負担率に換算し、10%、15%、20%、30%の定率負担と併せて比較した。
その結果、いずれの自己負担率でも無料時と比べ医療需要が減少していた(図)。一方、少額の定額負担と、より重い定率負担では、需要の減少幅がさほど大きく異ならないことも示された。同氏らは「自己負担があるかないかは医療需要に大きな影響を及ぼすが、自己負担の大きさそのものはさほど需要に影響しない」と指摘した。
図. 自己負担率と外来受診の関係
(東京大学プレスリリースより)
次に、自己負担割合と医療需要の関係からゼロ価格効果の有無を検証した。先に示した図において、自己負担率に応じた外来受診の推定値を結び、縦軸まで線を延ばしたときに(点線)、交点となる値が需要の予測値となる。しかし、実際の需要は縦軸との交点である-0.02付近から0に非連続的に増加(ジャンプ)している。これが、いわゆるゼロ価格効果と呼ばれるものであり、その存在が統計上でも確認された。
少額負担で、不健康な子供と比較的健康な子供の受診行動に変化
飯塚氏らは「ゼロ価格効果の存在は、裏を返すと1回200円といった少額でも自己負担を課すことで、ゼロ価格に比べて医療需要が大幅に減ることを意味する」と指摘。そこで、少額の自己負担(200円/回)を課すと、①どのような小児医療が減るか、②どのような医療がより減るか―の検証を行った。
医療については、日本ではワクチン接種などの予防医療の多くは既に無料のため、それらを除いた上で、医療文献に基づき、肥満、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、小児・思春期のうつ病の診察等の予防医療を「価値が高い医療」、不適切な抗生物質が処方される過剰な医療を「価値が低い医療」と定義した。
その結果、①については健康状態の良くない小児が月に1回以上受診する割合は減少しないが、比較的健康にもかかわらず頻繁に受診する小児の割合は大幅に減少することが示された。②については「価値が高い医療」と「価値が低い医療」のどちらも減少するが、特に不適切な抗生物質の使用の減少幅が大きかった。
「価値に基づく医療保険設計」が必要
以上を踏まえ、飯塚氏らは「小児医療にもゼロ価格効果が存在することが示された。価値が高いとされる一部の医療を除けば、自己負担をゼロにすることは、不必要な医療を増やす可能性が高い。また、少額の自己負担は健康状態の良くない子供に悪影響を及ぼすことなく、比較的健康な子供の過剰な医療需要を減らすことができる」と指摘。
その上で、「政府は秩序なき医療費無償化を見直し、その上で無料と無料以外の医療サービスを価値によって使い分ける『価値に基づく医療保険設計』を推進していく必要がある」と付言した。
(植松玲奈)