3年に及ぶ新型コロナウイルス対策は、政権運営にも大きな影響を及ぼした。これまで経験のない感染症対応に安倍、菅両政権はもがき、水面下では権力闘争を展開。政権の命脈を縮めることにもつながった。舞台裏を振り返る。(肩書は当時)
 ◇枝野氏の違和感
 2020年3月。新型コロナでの緊急事態宣言発令を可能とする法改正の協力を得るため、安倍晋三首相は立憲民主党の枝野幸男代表と国会内で会談。この場で枝野氏は確信を得た。「やはり、菅義偉官房長官がいない。政権内は割れている」。
 枝野氏が亀裂を感じたのには訳がある。霞が関ではこの頃、首相やその周辺と菅氏の溝が取り沙汰されていた。異変が生じたのは新型コロナ拡大の兆しが見え始めた2月末。首相は突然全国一斉休校を要請したが、菅氏は事後承諾だった。
 安倍政権では菅氏と今井尚哉首相補佐官が特に内政の調整を担っていた。ところが一斉休校で「菅外し」を演出したのは今井氏だった。
 「アベノマスク」と呼ばれた布マスク全戸配布も、今井氏と一部首相周辺が主導し、菅氏の存在感はほぼ皆無だった。安倍氏もこれらを事実上「黙認」(官邸幹部)。特措法改正の担当閣僚は菅氏兼任案があったが、首相が選んだのは西村康稔経済再生担当相だった。
 今井氏らの思惑について複数の政府関係者は、森友・加計学園問題や「桜を見る会」で安倍氏への批判が続く中、「令和おじさん」として人気が高まる菅氏は周辺議員の結束を図るなど、「黒子の立場を離れた野心が見えたためだ」と漏らす。
 一斉休校やアベノマスクへの批判から政権の求心力は急落。5月、緊急事態宣言が全国解除された後、感染状況の見通しやポスト安倍の行方を問われ、菅氏は周辺にこう語った。「再宣言は全くない。次は菅内閣だろ」。
 ◇「経済再開」の呪縛
 菅政権は20年9月の発足当初、高い支持率を背景に経済・社会活動の再開へかじを切ろうとした。起爆剤として期待したのが観光支援事業「Go To トラベル」と21年7月に延期された東京五輪・パラリンピックの「有観客開催」。同年10月の衆院議員任期満了をにらみ、菅氏周辺は「五輪前後の衆院解散を検討していた」と明かす。
 しかし、20年7月に開始したトラベル事業は感染再拡大で年末に一時停止。感染者数が急増し、再開が絶望視されたが、菅氏は「もう少し状況を見よう」と粘った。
 五輪も病原性の高い「デルタ株」の出現で反対論が高まった。「菅氏は最後まで有観客にこだわった」(周辺)ものの、結局「無観客開催」に追い込まれ、威信は傷ついた。
 夏に各地で病床不足が深刻化し、「医療崩壊」が叫ばれると、政策判断を誤ったとして批判が集中。9月の自民党総裁任期満了を前に政権基盤が揺らぐ。自民党各派閥からも「菅降ろし」の風が吹き始めた。結局、菅氏は衆院解散の「伝家の宝刀」を事実上封じられ、総裁選出馬を断念した。
 岸田文雄首相の下では、感染症対策の司令塔となる内閣感染症危機管理統括庁の新設を決定。自民党総裁選で目玉公約に掲げ、安倍・菅両政権の「コロナ失政」批判を意識したのは明らかだった。
 22年9月に行われた安倍氏の国葬。前首相となった菅氏は「友人代表」の辞に臨んだ。安全保障法制などを実績に挙げ「悔しくてならない」と、時折声を震わせた。しかし共に首相として試行錯誤を重ね、苦い思いも味わったコロナ対策に触れることはなかった。 (C)時事通信社