名もない発明家が一つのひらめきを頼りに人生をかけた新しいオーラルケア・「コロコロブラシ」の開発と、その後の事業成長の苦闘とは

株式会社TWC(以下、弊社)は20年以上、コロコロブラシ一本で事業を続けております。日本で初めて今のような歯ブラシが販売されたのは1913年(大正二年)。それ以来歯ブラシの形は変化がなく現在に至っております。このストーリーでは創業者の息子である弊社代表取締役・姜順基が、コロコロブラシの開発の経緯をお伝えします。




食文化が変わっても、歯ブラシは変わらないのか、という問題意識から起案


時代が変わり食文化が変わっていく中、歯のケアする道具は変わっておりません。年々歯科医院は増加傾向にあり、昔と違い歯肉炎・歯槽膿漏といった疾患が増えてしまいました。コロコロブラシの発明者、すなわち弊社の創業者である富山秀夫もその一人です。重度の歯槽膿漏になり、一生懸命歯磨きをしても悪くなる一方。従来の歯ブラシがもう今の時代に合っていないのではと思い始めました。


創業者・富山秀夫



歯周病に悩まされていた富山秀夫の「頭に降りてきた」アイディア

 

発明者である私の父(富山秀夫)は若いころから歯周病に悩まされておりました。定期的に歯科医に通い治療を施していましたが、悪くなる一方でした。父はかなりの発明好きで過去にもいろいろなものを製作しておりました。手先が器用なところを生かしてどんなものでも想像したものを形にするのが得意でした。そんな父が自分の歯を治したくてひらめいたのが、コロコロブラシです。不思議な話ですが、ある日突然に頭の上から従来の歯ブラシが降りてきて、頭の中で毛先が円を描きだし丸くなったといいます。その時にもしやこれはと思い、慌ててノートに記録したそうです。



のちに、毛先がタイヤのように丸くした場合どうなるのか、どのような効果が得られるのか、想像が始まりました。そうなるともう思いは止まらず制作に入ります。まずは、市販の歯ブラシを購入し、毛先を全部抜き一つに束ねて先端を溶かし、糸の束を作ります。そこからペンチで少しずつ溶かした部分をつぶしていくと、綺麗に円を描きます。そうやってできたのが※1シートです。それを当時は8枚ほどを重ねてタイヤのような厚みを出しました。



次はグリップです。色々なグリップを山のように試行錯誤して作り、最終は竹でグリップを作りました。竹は殺菌効果があり、また水にも強いのでこれはいいと、※2竹でグリップをつくり毛玉を取り付けました。




試作品を完成。使ってみたら大出血。しかし・・


一つ作るのに約1週間かかります。そうしてサンプルが出来いよいよ自分の歯で試す時が来ました。頭で思い浮かべてからかなりの日数が経過しており、いざ出来上がると自分で使ってこれはダメだと思ってしまうことが怖かったのでしょう、当時知り合いでいた女性に使ってみてと頼みました。女性は気軽に使いますと言って、目の前で水をつけてコロコロと転がし始めてくれました。そうするとびっくり!転がした歯茎から大出血です。とりあえず使用をやめ本人に聞くと、『使用感は刺激があって気持ちいい』と言っており、従来の歯ブラシでは出血しないのですがと言っておりましたが、出血するということは歯茎が悪いということですので父は彼女にしばらく使って感想を聞かせてと言いました。それから一週間ほど経過して彼女が「使用を続けていたら、歯茎がホコホコして気持ちが良いです。」と報告があり、父はそこでこれはすごい歯ブラシが出来たと実感。そして自分も使用をしてこれはすごいと実感したそうです。そして私に報告してくれました。


父と同じく歯槽膿漏だった私も使ってみて、実感した


やはり最初は「これは歯ブラシ?」と、私もあまり意識できなかったのですが、ちょうどそのころに私も歯茎から出血があり、歯医者に行ったところ診断は歯槽膿漏です。さすがに親子はここまで似るのかと思いました。そしてコロコロブラシのサンプルを作ってもらい試してみたところ、これもまた大出血です。歯茎の痛みもあり、従来の歯ブラシでは感じえないものでした。一週間ほど使用を続けると、歯茎がすっきりしたような気がしました。これはすごいと実感しました。そして「これは絶対に世界へ広めなければ」とその時使命感にかられたのを覚えています。そしてコロコロブラシに一生を捧げることになります。


ひとまず特許申請したものの、製造してくれる工場がなかった

 

世界で初めての歯ブラシ、商品化に向けての取り組みが親子二人で始まりました。

とは言え歯ブラシの世界も、事業の進め方もまったくわからない。しかも資金もないという状況でした。しかしそこは知らぬが仏ではありませんが、この先どれだけの資金がかかるかも想像もできていなかった為に前に進んでいきます。そこでまず権利的なものを抑えなければと思い、父は発明が好きだったものですから弁理士の先生とは仲が良く、まずは相談に行きました。


弁理士の先生から、『この歯ブラシに関してはすごい』とお褒めの言葉を頂き、最初は 前文で述べた手作業で作る工程を特許申請しました。ここからが問題です。製造をどこでするのかです。どこが作ってくれるのか、とにかく毎日毎日、朝から晩までブラシの製造工場を回りました。数か月は探したと思います。

 

最終的にサンプルを製作してくれたところはなんと、亀の子たわしようなものを持ってきました。まったく違うものです。かなりのショックを受けましたが、ここで気づきます。「世界で初めてのものを作るのにどこかが作れるわけがない」、ここに気が付くのに相当時間がかかってしまいました。ということはブラシを作ってくれるところではなく、このブラシを作れる機械を製作しないといけないことに気づきます。また一からのスタートです。


360°ブラシにおいての製造方法及び製造装置における基本特許を取得



ブラシを製造する機械の製作から着手したものの、失敗


知り合いという知り合いに声をかけて、機械製作所を知りませんかと尋ね回りました。当時は 今のように簡単に検索できる時代ではありませんでしたので、電話帳や知り合いにあたるしかありませんでした。そしてようやく見つかりました。喜んで父と二人で機械製作所へ伺い話をしましたら、『いとも簡単にできるよ』と言われ、これもまた大喜び致しました。もちろん制作をお願いするには前金は支払わなければなりません。何とか友人知人にあたり、資金を借り入れることができ、シート製造機の制作が始まりました。しかし思うように進まず、うまいこといきません。父も毎日のように製作所へいき、指示をしながら約半年程でなんとか試作機が出来上がりましたが、結局欠陥が見つかり改善出来ないままになり、機械は完成しないままになりました(この製作所が後に機械を完成させ類似品を製造することになりました)。


メーカーに「この機械は作れない」と言われ、最後は父が製造機械を完成させた


やはり難しいなと親子で悩んでおりましたが、悩んでいても仕方がないのでまた探し出します。ようやく探し出し欠陥のある試作機をもって新たな制作会社へ行きました。そして試作機を元に機械の製造を再開しますが、ここからも問題が起きます。約一年間を費やし、前回と同じように父は毎日制作会社へ通っておりました。今でも忘れませんが、正月の1月4日に電話があり『お手上げです、この製造機は作れない』と連絡が来ました。ここまで来て作れないのかとショックを隠せなかったのを覚えています。正月が明けてまた制作会社へ行くと動かない機械が並んでおります。これは困ったと、何とか父は完成させようとそこからまた試行錯誤が始まりました。それから数か月後、機械は動くようになりましたが綺麗なシートが出来ません。しかし私は並行して営業に回っておりましたから、父は何としても商品を作り上げなければという思いで、とにかく不完成な機械ではありましたが知り合いの農家のプレハブを借り、そこへ納品してもらいました。


そこからが父親の発明家の本領発揮です。不完成な機械を毎日毎日眺めては分解し、組み立てなおし、鋼鉄を削り出したりと機械との戦いが始まります。私はその間、営業に毎日回っておりました。自然と役割分担が出来ており製造は父、販売は私とそれぞれの役割を守るために必死に頑張っておりました。もうすぐサンプルがいるよと言えば父は焦り、商品が出来るぞと言われれば私が焦りと幾度となくこのような状況が続きました。そして約三か月後、父は機械を完成させました。さすがに子供ながら凄いなと感じました。その後、機械は日々進化していき、今では思い通りのシートが製造できるようになりました。





販売を開始するも、まったく売れず。「変な壺を売りつけているのと同じだ」とも言われ

 

長い年月をかけてようやく製造機の完成です。販売に向けて本格的に始まります。


製造機の制作中に営業に回っておりました私はまず「この世にない初めてのものを販売するというのはこんなにも難しいものなのか」と実感しました。自分で使ってみてこれは凄い良いものだ、歯で苦しんでいる人を救えると単純に実感したので、素直に『この歯ブラシは良いものです、是非一度使ってみて下さい』と営業に回りますと、世の中の反応は、いったいこれは何ですか? 特許商品? 歯ブラシ? こんなんで磨けるの? 何がどう良いの? 挙句にはエビデンスはあるの? これは売れないでしょ! という具合に質問攻めにあいました。


『いや一度使ってみて下さい、わかりますので』というと、『それだけじゃ売れないんだよね』と断られる日々でした。


私はそこで、自分が実感したことを証明し質問をされないようにすれば良いのだと思い、営業先の方針を歯医者さんに向けて営業に回り始めました。ところが驚いたことに一般企業よりも歯医者さんの方が風当たりが強く、中には『変な壺を売りつけているのと同じだよ』と突っ返されたり、目の前で苦労して作った歯ブラシをゴミ箱に捨てられたりと、私が思っていた医療の世界とは全く違いました。ショックを受けながらも私は進むしかないので、飛び込みで歯科医院に営業に行っておりました。


しかし行けば行くほど状況は変わらずというより、悪くなる感じがしました。どうしたものかと悩んでおりましたら、知人から『私の知り合いの従弟が歯医者さんだから紹介する』と言われ喜んでいきましたが、その先生もやはり今までと変わらない先生でした。しかしその先生は『従弟からの紹介でもあるし一人先生を紹介するから相談に行きなさい』とご紹介していただきました。


歯ブラシの研究家である歯科医師、通称「歯ブラシ博士」との出会い


ご紹介いただいた先生は、なんと歯ブラシ博士と呼ばれている先生で、ご自分の歯を抜いたり削ったりして歯ブラシの研究をしている先生でした。私はもうこの先生しかいないと思い、アポイントをとり伺わせ頂きました。


初めて伺わせて頂いた日、午前11時ごろだと思います。奥様も歯医者さんで、奥様が笑顔で迎えてくれました。診察室に通され、歯ブラシ博士との初めての出会いです。私はこれを逃すとチャンスはもうないと思いながら向かってきたので、かなりの緊張があったのでしょう。先生の方から『まぁそこに座ってお茶でも飲んでて』と言われ、少し先生が患者さんをみていました。その時間私は、落ち着きを取り戻し、先生の診療が終わってから今までの経緯を話しだし、先生に会いに来た理由を話しました。そうすると、歯ブラシの話ではなく歯の大切さや、うちの診療所は子供がたくさん来る診療所で治療に来るのではなく、宿題をしに来たり絵本を読みに来たりするんだよ、と話されました。


私はあまり歯医者には通っていなかったのでわからなかったのですが、そういえば普通は子供は歯医者が嫌いなイメージがあり、大人ですら歯医者に行くのは憂鬱になるイメージがありますがこの診療所は全く違いました。しかも部屋の壁は子供の写真だらけでした。


笑顔があふれる歯科医院って感じです。そして1時間ほど経過すると、なんとお昼御飯が出てきました。一瞬えっと思いましたが、せっかく出してくれたので頂くことにしました。何気にたわいもない話をして食事が終わりました。そして肝心な話が出来ないまま時間が過ぎてしまい午後の診察に入る時間になってしまいました。これでは何しに来たのかわからないので、また次回お会いできますかと尋ね次のアポイントを取りました。一瞬ホッとしてとりあえずは帰りました。それから一週間ほど経過して二回目です。先日のお昼のお礼に手土産をもって伺いました。今回は必ずコロコロブラシの良さを証明してほしいということをお願いしなければと思い、さぁテーブルに着いたとたんに先生の方からどさっと資料が出てきました。


うん?これは何だろうと思い見ましたら、なんと作り方は違うもののコロコロブラシと同じような図案がありびっくりしました。先生これはと尋ねると『実は先日私を紹介してくれた先生が連絡をくれた時に、歯ブラシの形状を聞き驚きましたと言われました。歯の上をコロコロと転がすことが治療効果につながることを、もうすでに研究してわかっていたのです。研究資料もありますと言われました。


歯ブラシ博士との共同作業、学会発表を経て、テレビショッピングで記録的な売上を達成


私はこれは奇跡としか感じれませんでした。この先生は、研究ではわかっているが製造がどうしてもできなかったので実際のデーターがとれないままでした。その出来なかった技術が私の所にあり、それが出会ったという感じです。本当に驚きました。そこから是非先生のお力添えを頂きながら、本当にいい歯ブラシを世に誕生させましょうと意気投合し、先生との共同作業が始まりました。


先生は今までのデーターを元に実際使用してみて、データーを取るだけで学会に発表できる状態でした。そこから日に日にデーターをとり学会に発表、かなりの反響があり過去に質問攻めにあった内容はクリアーできたわけです。



その後先生のアドバイスで歯科医に売り込むのではなく、もっと美容の業界へ行かなければダメだと言われ、美容商品のようにパッケージを作り美容業界の展示会に出展しました。そこで色々なお取引先が決まり、その当時はテレビショッピングが始まりだしたころで、そこでも販売が決まり売り上げの記録を持つほどになりました。そして一気にテレビ・雑誌・新聞などで取り上げられ、世界で初めての3D型ローラー歯ブラシが話題となりました。


類似品の出現、価格崩壊、売上の低下。思い切って、訴訟へ


しかしこれはあくまでも一時的なブームでしかありませんでした。想像もしていなかったことが起きだします。類似品の出現からはじまり、価格崩壊・お取引様からのクレームと次々と問題が浮上してきます。それにましてテレビショッピングでは今までにない考査が厳しくなり生放送一時間前に準備していた資料を取り上げられる始末です。放送では大したことが話せず終了。当然売り上げは下がってしまいました。


弊社はそれまでに特許をぬかりなく申請し、世界16か国特許取得もしており日本ではコロコロブラシにかかわる特許を5つ程取得しておりました。類似品の問題もこれだけ法的に特許を取得しているのだからすぐに解決できるものと思っておりましたが、とんでもない話です。類似品が出回るようになりかなりのダメージを受けました。


ここで決断をします。このまま無理して販売をすればコロコロブラシのイメージが悪くなる、また類似品の粗悪な商品と同じに見えてしまうと思い、思い切って訴訟をすることに致しました。


当初訴訟をするにあたり費用も大変ですが、なかなか特許の侵害訴訟を受けて下さる弁護士が少なく探すのに苦労しました。そしてようやく受けて下さる弁護士さんが見つかりお願いすることになりました。


会社は停止状態になるも、6年間かかって訴訟に勝利


私どもがまぎれもなく発明し世界で初めてこの世に出した製品なのですが、訴訟をするとなると取引先は取引を停止するところが増え始め、結局会社は停止状態にするしかありませんでした。一方の類似品の会社は訴えらえているにも関わらず訴訟中ずっと販売が出来ておりました。本当に不思議な話です。こうして訴訟が始まりました。


当初は2年ほどで判決が取れると予測しておりましたが、相手側の弁護士に時間を引き延ばすだけ引き延ばされてしまい、結局6年間かかってしまいました。この6年の間どのように生きてきたのかさえ記憶が定かではありません。


この6年間は想像を超える辛さでしたが、訴訟中も私を信用してくださり、そして商品を信用し続けて支えてくれた企業様がいらっしゃいます。そのお陰様で戦い抜くことが出来、判決は勝訴となり勝ちました。これで一安心と思い長年の苦労も報われたと喜び、再出発をしようと決意致しますが、結局法律で勝っても類似品を市場から消すことは出来ませんでした。本当に歯がゆいところです。しかしそんなことも言ってられません。私は発明者の願いでもある「世界へコロコロブラシを広めたい」という気持ちは変わっておりません。気を取り直し、再出発に向けて進みだしました。それから約10年が経過致しました。この当時、信用して頂いた企業様、そして支えて下さった方々によって現在に至っております。 


コロコロブラシ事業の今後について

 

我々は歯で悩む方が一人でも多く減り、一生涯自分の歯で食べれることの幸せ、そして笑顔が絶えない日々を健康で過ごして頂きたいを目標に事業を進めております。今回そのような思いから、歯の悩みは人だけではありません、家族でもあるわんちゃんもそうです。人も動物も悩みは同じです。わんちゃんも人と同じで歯周病になります。特にわんちゃんは人と違い、反応が早く脳梗塞や心筋梗塞などまた内臓にも影響を及ぼします。大切な家族の為にこの度ご要望が多かったコロコロブラシのわんちゃん用を試行錯誤の上完成することに成功しました。 

 

家族みんなで健康にそして幸せになれるように私たちは頑張っていきます。

◆    マクアケでの応援購入募集案内


https://www.makuake.com/project/colocolo-brush/






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