必勝!医学部入試

今春、34歳で医学部に合格した受験生の生き方
~大学院修了からの浪人生活~

 ◇受験生の春は複雑

 私は30年ほど前に教育業界で働き始めましたが、春は合格者と不合格者が混在するために、とても複雑な気持ちになります。私自身も浪人を経験しているので、春の陽気の中、桜が満開の公園の横を通り過ぎた時の、自分だけ取り残されたような、あの何とも言えない寂しさと口惜しさが入り交じった複雑な気持ちをいまだに覚えています。

河津桜と富士山

 ◇神谷くんとの出会い

 毎年、1月から4月上旬にかけて、予備校は生徒の医学部受験と、新入生の受け入れ準備など、1年で最も忙しい時期になります。私はこの時期、勤務をしている校舎の運営支援のために幾つかの校舎を訪れます。

 今年1月、1年ぶりに訪れたある地方校舎で、1人の男子生徒と出会いました。

 第一印象は、他の生徒よりも貫禄があり、年齢は20代後半の多浪生ではないかとう感じでした。その校舎のスタッフに彼のことを聞くと、1年前に入校した生徒で、やはり多浪生とのことでした。

 さっそく私の方から話し掛けてみました。生徒の名前は神谷くん(仮名)といい、年齢は34歳。愛嬌(あいきょう)があり、明確な目的意識を持って浪人生活を続けていることがすぐに伝わってきました。

 神谷くんは、ある大学の保健学部の大学院を修了したけれど、医師になる夢を諦めきれずに5年ほど大手予備校に通い、その後は資金が尽きたためにアルバイトをしながら宅浪をしていたそうです。保護者は医師ではなく一般家庭のため、国公立大学の医学部しか選択肢がなく、この1年は「最後の浪人生活」だと決意し、受験勉強に専念するため、私の勤務する医系専門予備校に初めて通うことにしたようです。

 その後も、月に数回、その校舎に行くたびに神谷くんと顔を合わせて、受験勉強や対策、志望校選定に関することを中心に話をするようになりました。とにかく合格をするために必要な情報を提供しました。

 ◇共通テストで予想外の失点

 今年1月に初めての実施された大学入学共通テストで、神谷くんの自己採点結果は得点率80%と予想外でした。この結果だと、医学部に合格できそうな国公立大学はそれほど多くはなく、個別試験でかなりの高得点を取らなければなりません。

 共通テスト後に、初めて神谷くんと話した時は、気持ちを切り替えて既に前期日程の出願校を二つに絞っていました。個別試験の内容が自分の学力特性に合致していて、これまでのデータから個別試験で逆転が可能な大学を、戦略的に考えた上での出願校選定でした。そして、最終的にF大学に出願校を決定しました。私も彼へのアドバイスを考えていましたが、神谷くんの自信に満ちた論理的な説明を聞くと、専門家である私も納得をしました。

 その後、前期試験まで約40日間、神谷くんはF大学に向けて、朝から晩まで、ものすごい集中力で苦手分野の克服と過去問演習を行っていました。私と会うたびに「何とかギリギリ、合格できそうです」と、まるで自分に言い聞かせるかのように、F大学の合格最低点を考慮した上での科目ごとの戦略を話してくれました。

 ◇合格発表の日のこと

 3月初旬のF大学の合格発表日、神谷くんは、ご両親とともに自宅のパソコンで、自分の番号を見つけました。この瞬間、家族全員の目からは涙があふれ、父親と自然に抱きあって喜んだとのことでした。ご両親と何度もパソコンの画面に映る自分の受験番号を確かめたそうです。

 ようやく神谷くんの長い浪人生活が終わりました。

ベトナム北部ハイフォンの病院で治療を受ける患者【AFP時事】

 ◇なぜ医師を目指すようになったのか

 その後、改めて校舎に足を運んでもらい、神谷くんに話を伺いました。

 もともと社会貢献ができる仕事をしたいとのことで、救急救命士を目指して大学と大学院に進学しました。

 夏休みなどには、旅行も兼ねてアジアの医療施設を視察したり、そこでボランティア活動をしたりしていたようで、医療における日本との格差にあぜんとしたそうです。

 ベトナムでたまたま母校の日本人医師と出会い、「キミも医師になった方が良い」、「医師の方が仕事の範囲が広い」などの話を聞く中で、医師への興味が強くなっていきました。

 その後、ベトナムに滞在中に、全世界で流行した新型インフルエンザに感染して、日本人が誰も居ない海外で入院生活を送ることになります。死をも覚悟したそうですが、2週間におよぶ現地の医師たちの手厚い治療のおかげで、完治することができて無事に日本へ帰国することができました。

 この時に、医師になりたいという決意ができたそうです。

 ◇25歳からの浪人生活の始まり

 そして大学院修了後に、神谷くんの浪人生活が始まりました。高校時代の受験勉強から時間が空いていることもあり、成績は思うようには上がりませんでした。それでも、少しずつ医学部合格に近づいていきました。

 ここ数年は、受験した大学の合格最低点まで、あと5~10点ほど足りなくて不合格になることも多く、とても悔しいと感じるとともに、あと少し頑張れば合格できるという自信にもつながったようです。

 ◇10年間、医師を諦めなかった理由

 医学部は多浪で合格する割合が非常に高いことでも有名です。神谷くんの場合は、年齢のこともあり、今回、不合格だったら医師になることを諦めることにしていましたが、それでもこれまで医師への道を諦めなかった理由は、「医師になりたい!」という思いが誰よりも強かったからです。

 今回、F大学の面接試験において、試験時間の最後に医師である面接官から「キミのような熱意を持った受験生に、医師になってほしい」と言われたようです。

 モチベーションを維持できた理由には、友人の支えもありました。高校や大学、大学院時代からのそれぞれの友人との付き合いは今でも続いており、これまで受験が終わった3月には、毎年、彼らが残念会や反省会を開いてくれたそうで、翌年の合格に向けて気持ちを入れ替えて受験勉強に取り組めたようです。今年は、残念会や反省会ではなく、ようやく祝賀会が複数回も開催されるそうです。

 また、両親は少しの小言も言わずに、最後まで自分を信じてくれたことも大きな理由だと思います。

 ◇そして新たな人生の再スタートへ

 4月からは地元を離れて、神谷くんの1人暮らしが始まります。先日、アパートを探すために、自宅から750kmほど離れたF大学に両親を連れていったそうです。これから浪人生活と同じくらいの時間を過ごすことになる場所を、どうしても両親に見せたかったようです。「初めて親孝行ができました」と目に涙を浮かべながら話してくれました。

 35歳で医学部に入学することについて、快く思わない人もいるでしょう。

 人生は100年時代になりました。神谷くんは医師になった後も、彼の人生は50年以上あります。将来は、日本の地域医療に携わり、その経験を基に海外での医療活動も考えているようですが、彼が医師として社会貢献できる仕事と時間はたくさんあります。

 最後に神谷くんに医師をめざして浪人生活を送っている人へのアドバイスをお願いすると、十分に努力をした上で「自分を信じて頑張れば、絶対に医師になれる」とのことでした。

 それぞれの春が始まります。医学部合格をめざして頑張りましょう。(医系専門予備校メディカルラボ 山本雄三)

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