Dr.純子のメディカルサロン

コロナ禍に聴く レイ・チャールズ
~雨でも晴れでも いい時も悪い時も~ ジャズピアニスト海野雅威さんお薦め曲


海野さんはニューヨークを拠点に活躍する【時事通信社】

海野さんはニューヨークを拠点に活躍する【時事通信社】

 海野 この曲にはいろいろな思い出もあります。


 NYでの思い出ですね。


 海野 ピアニストのハンク・ジョーンズが僕のピアノを気にいってくださって、渡米する時推薦状を書いてくださったんです。そのお礼を兼ねてお伺いして、それ以来一緒にハンクの家でピアノを弾いたりするようになりました。その時に彼ともこの曲をセッションしたんです。


 すてきですねえ。


 海野 ハンクはいつも「何を演奏したいの?」と聞いてくれるんです。それで僕が、「じゃあ、Come rain or come shineをやりましょう」というと、ハンクはニヤリと笑って、”Come   rain?   “それとも“Come   shine?”というんです。晴れのほうを演奏するの?それとも雨のほう?なんてね。おちゃめですよね。


 楽しいですね。ハンクさんとはよくセッションを一緒になさってたんですか。


 海野 ええ、すごくタフなんです。ハンクは。僕は2時間も弾き続ければ一度は休憩したくもなりますが、ぶっとうしで演奏するんです。5、6時間。


 えーっ。そんなに連続なんですか。


 海野 そうなんです。トイレも行かないし。ものすごい集中力、音楽に対する想いや情熱をひしひしと感じました。普段ステージでは見ることができないほどリラックスしたハンクとの自宅でのセッションは特別な経験でした。


 それはすごいですね。その当時はかなりの年齢だったはずですね。


 海野 そうです。80代後半でした。ピアノの鍵盤と同じ年になったと言ってましたから、88歳を迎えていた頃です。そうなったから少しはピアノうまく弾けるようになったかな、なんて言って。マスターがそんなこと言って、と思ってました。この曲を聴くとハンクとの演奏を思い出します。



 海野 雅威 (うんの ・ただたか)  1980年、東京生まれ。4歳からピアノを、9歳からジャズピアノを始める。18歳からミュージシャンとして活動を始め、鈴木良雄(b)など日本を代表するミュージシャンと活動後、2008年にニューヨーク移住。新天地でもトップミュージシャンに認められ、ジミー・コブ(ds) やクリフトン・アンダーソン(tb)、ウィナード・ハーパー(ds)、ジョン・ピザレリ(gt、vo)、ジャズミーア・ホーン(vo)らのバンドで活動。自身のトリオでも演奏を行っている。13年にはヴィレッジ・ヴァンガードで、ジミー・コブ・トリオのピアニストとして日本人初出演。ルディ・ヴァン・ゲルダー氏の生涯最後のレコーディングピアニスト。16年、名門ロイ・ハーグローヴ(tp)クインテット日本人初のレギュラーメンバーに抜てきされた。


 取材後記 海野雅威さんは昨年9月、活動拠点のNYでの仕事の帰り、地下鉄の出口で暴漢の集団に襲われ右鎖骨骨折の他、頭部や肩、腕、指など全身の打撲などの重傷を負いました。コロナの感染拡大でアジア系の人々に対するヘイトクライムが増加する中での事件でした。緊急手術を受け、一命をとりとめましたが、腕は動かせない状態に陥りました。そんな中、アメリカではNYのジャズコミュニティーがドネーションを呼び掛け、世界中のファンや仲間たちから寄付が集まりました。日本でも昨年11月に45人のジャズミュージシャンが、支援コンサートを行ってその配信チケット代金を支援に充てています。7時間にわたる日本を代表するミュージシャンたちの演奏が行われました。

 ピアニストが腕と肩を負傷すること、理不尽な形でそのような目に遭うことが、どんなに怒りを感じる出来事かは想像を超えるものがあります。現在、まだ腕は思うように動かせず、痛みが走り文字を書くのもつらい状態でリハビリ中ということです。

 そんな中で、心の平和を保ち淡々とリハビリを続ける海野さんは「こんなにも多くの人が心配してくれていることに気付かせてくれたことで勇気づけられた」と話してくれました。そんな海野さんが語るCome rain or come shineの中での苦笑しながらの一言、「ほんとに毎日雨なんですよね」という言葉が胸に刺さりました。





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