一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏

(第12回) 不安契機、善行心掛ける =「プラスの連鎖」と前向きに

 手術の腕はどんどん上がり、症例数も伸びて手術数も年間493例、うち冠動脈バイパス手術は約350例でついに日本一になった。心臓血管外科医として表面的には順風満帆に見えたが、トップに上り詰めたことで、天野氏は内心、将来の漠然とした不安を抱えていた。尿路結石で生涯初の入院生活を経験したのも、そんな時だった。

 「過労もあったのでしょうが、とにかく激痛でした。点滴をされて動けないというのは、こんなに大変だということも初めて知りました。医者になったら、一度は経験すべきですね」と天野氏。普段は休む間もなく、回遊魚のように動いている人間が、突然止まらざるを得ない状況に置かれると意外に弱い。「いつか執刀できなくなる時がくる。そのために後進を育てなければ」「これからどうすべきか」などと、動けない体でモヤモヤした思いが頭に浮かんでいた。

 退院して仕事に復帰したある日、外来診療で診ていた40代の女性患者から「なんだか良くない相が出ている。お母さんに生まれた時間を聞いてきなさいよ」と話し掛けられた。以前から診察室で世間話をする中で、女性が占師であることは知っていた。

 天野氏は女性に言われた通り、母親に自分が生まれた時のことを聞いてきた。「1955年10月18日午後3時20分、鉗子分娩(かんしぶんべん)で結構大変なお産だったらしい」と伝えると、「ああやっぱり、すごく良くないわ。『絶』の世界に入って、2~3年で人生終わっちゃうかもしれない」と宣告されてしまう。

 「じゃあ、どうすればいいんですか?」と尋ねると、「もっとたくさんの人に貢献できるようなことをしなさい」という答えが返ってきた。

 占師の言うことを素直に聞くところも、また天野氏の一面である。「自分と利害関係のない人からのアドバイスは重要だと思っているんです。手術をした患者さんたちからも、いろんな話を聞いて影響を受けてきました。病院関係とは別の異業種の人たちとの付き合いも大切にしています」。

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一流に学ぶ 天皇陛下の執刀医―天野篤氏