一流に学ぶ 人工股関節手術の第一人者―石部基実氏

(第1回)平凡で目立たぬ子ども時代=父の会社倒産、勉強にスイッチ

 ◇小学校の通知表はほとんど3

 「小学校の通知表で一番多かったのは3。特に運動ができるわけでもなく、クラスの中では目立たない存在でしたね」と石部氏は子ども時代を振り返る。

 1957年、東京・池袋生まれ。物心が付いたときには江戸川区の小岩に住み、小学校3年生までを過ごした。父親は医療機器の販売ディーラーで出張が多く、専業主婦の母と二人でいることが多かった。

 母親は関東一円に3000人もの子分を抱えた幕末から明治にかけての博徒(ばくと)、小金井小次郎のひ孫にあたり、肝の座った物静かな女性だった。石部氏が手の掛からない子どもだったこともあるが、口うるさく干渉するタイプではなかった。両親共に子どもの成績には関心がなく、通知表も見せた記憶がないという。

 父親が勤めていた会社を辞めて独立したため、小学校3年生の時に札幌に移り住んだ。

5歳の時の石部基実氏
 「父と伯父、それに事務員が1人か2人いましたが、実際は父1人でやっているような会社でした。北海道大学のそばに会社があり、整形外科、脳外科、形成外科などで使う医療機器を扱っていました」

 会社の経営状態は思わしくなかった。両親が心配を掛けないように気を使っていたのは子ども心に感じていた。しかし、一軒家から外階段の2階建て木造アパートに引っ越し、風呂も電話もない生活になると、さすがにわびしさを感じざるを得なかった。

 ◇新聞配達も経験

 「中学時代は小遣い稼ぎに新聞配達をしていたこともありました。ある時、近くに住む耳鼻科の先生が『子どもが新聞配達までして、君の会社はそんなに苦しいのか、じゃあ買ってあげる』と医療機器を買ってくれたこともあったと父から聞きました。勉強との両立ができなくて、数か月で辞めてしまいましたが」

 大きな会社の社宅に住んでいる友だちの家に遊びに行くと、鉄筋コンクリートの4階建てで、風呂もある。それが、うらやましかったという。

 「やっぱり父のように事業をするのは大変だろう。勉強して大きな会社に入ったほうがいいなと思いました」

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