Dr.純子のメディカルサロン

世界のへき地で手術と技術指導に奔走する眼科医 内藤毅・徳島大学特任教授

 徳島大学の内藤毅特任教授は、ネパールに頻繁に通い、現地で医療活動、医療教育に奔走しています。同国のアイキャンプ(移動眼科クリニック)は、交通手段がない患者さんのために医師が医療拠点をつくるという、非常にユニークな医療。そのアイキャンプで、手術までこなし、最近は他の国へも支援活動を広げています。ネパールから帰国した直後の内藤教授にお話を伺いました。

 ◇始まりは現地からの要請

 
海原 どういう経緯でネパールでの医療支援にかかわるようになったのですか。

 内藤 1984年10月から半年間、ネパールの眼科医からの要請で、ネパール(当時はネパール王国、現ネパール連邦民主共和国)の首都カトマンズに滞在しました。

 当時、ネパールでは日本の援助で、ネパール国立トリブバン大学医学部に付属病院が出来たところでした。

ネパールでの眼科医指導

 それまで、ネパールには医科大学がなく、医師になるためには、インドなど外国の医科大学へ行く必要がありました。

 ネパール現地のウパダイ教授の要請で、ネパール政府と初めて契約する外国人医学部教官(助教授)となりました。そして、トリブバン大学付属病院眼科で、ウパダイ教授と診療・教育に従事し、ネパールの眼科医学教育をスタートさせることができました。

 ◇眼科医が20人の国

 海原 実際にどのようなことをしたのですか。

 内藤 半年間のネパール滞在中、アイキャンプでネパールのへき地を回り、白内障で失明した患者さんの手術を多数行いました。

 アイキャンプは、移動手段の乏しいへき地の患者さんにとって、なくてはならないもので、現在でも盛んに行われています。

 84年当時、ネパールには、眼科医が20人という厳しい状況で、ネパール人眼科医の要請でアイキャンプに一緒に行きました。
 
 海原 20人というのは驚きですが、今はどうですか。

 内藤 現在は約300人に増えていますが、眼科医の多くが都市に住み、山間部のへき地では依然として厳しい状況です。

 ◇毎月、ネパールへ

 
海原 ネパールへは、どのくらいの頻度で行くのですか。

 内藤 2016年からはJICA(国際協力機構)の草の根プロジェクトを担っていたので、ほぼ毎月、行っていました。それ以前は年に1〜3回程度です。現在までに70回ほど渡航しました。


 海原 毎月ネパールとはすごいですね。健康管理で気を付けていることはありますか。


 内藤 ネパールと日本の時差は3時間15分です。この時差に合わせて就寝時間を早くし、早朝に起床しています。起床後はスクワット、腕立て伏せ、腹筋などの筋トレやストレッチをしています。

モザンビークで手術後の患者さんたちと

 また、現地の食事は炭水化物が多いので、炭水化物を控えめにするようにしています。

 ◇急速に改善

 海原 ネパールの医療レベルはどうですか。医療教育の交流は、どのような形で行われているのですか。

 内藤 JICAプロジェクトでは、眼科医教育、眼科助手教育、看護師教育、ボランティア教育などを行いました。

 国立トリブバン大学付属病院眼科では、若手医師の教育、特に網膜のフェローシップを立ち上げ、専門教育などを行っています。

 徳島大学医学部とトリブバン大学医学部の交流事業では、徳島大学でのネパール人医学部教員研修や徳島大学医学部生のネパールでの眼科臨床実習を行っています。この臨床実習は、徳島大学医学部で単位認定されています。

 ネパールの医療レベルは近年、急速に改善していると思います。トリブバン大学付属病院は日本の援助で建設され、その後も医療器材の投入なども行われています。眼科は日本と同レベルの高い診療ができています。


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