ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

見失いかけた映画への夢
~1人暮らしで自立、生きやすくなった~ 【第7回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 短大卒業後、映画人の育成で知られる南カリフォルニア大学(University of Southern California、以下USC)に入学し、念願の映画学部の映画評論コースに入りました。想像をはるかに超える授業のレベルの高さに苦しみ、映画への夢を見失いかけた時期もありましたが、自立することで障害者であることを忘れ、生きやすくなっていきました。

映画への夢を追った南カリフォルニア大学を卒業

映画への夢を追った南カリフォルニア大学を卒業

 ◇映画を見るのが苦痛に

 USCの映画評論の授業は短大時代の何倍も予習と復習が必要でした。毎日いろいろな映画を見て、それについてみんなでディスカッションしたり、評論してエッセーを書いたりするのですが、ディスカッションで発言できるほどの英語のスキルがない私は、うまく発言できず、ついていくだけで必死。エッセーは英語の言い回しなどが難しくて時間がかかるので、映画を分析することが嫌になり、最終的には映画を見るのも苦痛になりました。

 その頃(2009~11年)は現実逃避のように、昔はやった日本のドラマを見たり、安室奈美恵、浜崎あゆみ、宇多田ヒカル、鬼束ちひろ、GReeeeNの音楽を聴いたりしながら、なんとか授業の課題をこなしていました。

 ある日、徹夜で書き終えたエッセーを提出しに学校へ行こうとしていた時、寝不足でボーッとしたまま車椅子から車に乗り移ろうとしたら肩が外れてしまいました。短大時代の水泳の授業で外れた時は軽い亜脱臼だったのですが、この時はなかなか重症で2カ月間絶対安静。自力で車椅子をこげなくなり、休学することになりました。

 アメリカにいるのに何もできないし、どこにも行けず、ただ家でご飯を食べ、日本のドラマやバラエティーを見たり、音楽を聴いたりして英語から逃れようとしている自分がすごく嫌で、この2カ月間はとても荒れていて、どうしようもない悔しさや、むなしさを母にぶつけてばかりいました。自分は今後どうしていけばいいか、先が見えなくなり落ち込みだしたのもこの頃でした。

大学では宿題も多く、授業についていくのに必死だった

大学では宿題も多く、授業についていくのに必死だった

 ◇消えかけた情熱

 「アメリカに行ったら、英語ペラペラになって、ハリウッドで映画の仕事を見つけるんだ!」と意気込んでいた留学当初の熱い思いは消えかけ、夏休みに日本に一時帰国して、大好きな安室奈美恵さんのライブに行く方が楽しみになっている自分がいました。無い物ねだりって、こういうことを言うのでしょうか。

 しかし、このままではダメだと自分に活を入れ、2カ月間の休学中に心を入れ替え、もっと自分から積極的に現地人に話し掛けて仲良くなってみようと、外国人交流クラブに参加しました。これは、外国語を勉強したいアメリカ人学生と英語を勉強したい学生が、お互いに言語を交換して話すというサークルのようなものです。そこでパートナーになったアメリカ人と友達になりました。

 USCの障害者サポートセンターにも通い始め、「Swim with Mike」という民間基金が障害者スポーツで業績を挙げている学生を支援するために運営している奨学金制度を教えてもらって応募してみると、USCの学費の全額分の奨学金がもらえることになりました。

障害者スポーツを支援する民間基金「Swim with Mike」のメンバーになった

障害者スポーツを支援する民間基金「Swim with Mike」のメンバーになった

 「Swim with Mike」のメンバーになり、他のメンバーとも仲良くなりました。そこにはたくさんの障害者がいて、みんなスポーツを楽しんでいました。「Swim with Mike」主催のスポーツイベントなどにも誘ってもらえるようになり、アメリカ人と触れ合うことも増えていきました。人間、ちょっと行動し始めると、周りの環境もどんどん変わっていくのだと感じました。

 ◇初めての映画作り

 USCの映画学部を卒業するには、卒論の代わりに映画制作が必修でした。クラスで日本人は私だけ。他はほぼ現地人で、授業1日目から不安だったのですが、みんな映画が好きなので話が盛り上がり、クラスメートとも仲良くなることができました。

 映画制作のクラスでは、1学期中に4本自主映画を作るのが課題でした。脚本から自分で考え、撮影、監督、編集まで全部自分でやり、それを授業で発表するという、なかなかハードな内容です。キリスト教の「七つの大罪」から一つ選んでテーマにするという課題だったので、私は「大食」を選び、レストランでパンケーキを頼み過ぎて支払いができなくなり、結局その店で働いて借りを返すことになった男の話を喜劇タッチで描きました。

初めて作った映画の一場面

初めて作った映画の一場面

 初めて台本を書き、当時付き合っていたボーイフレンドに演じてもらい、撮影、編集してクラスで上映しました。初めて作った私の映画を見て、みんなが笑ってくれたのがすごくうれしかったです。

 その後は、粘土で作ったキャラクターを動かしてアニメーションにするクレイアニメを作りました。マリオが自分の部屋でロールプレイングゲームをするという内容です。クレイアニメにすれば、自分のペースで撮影できるのが楽な半面、編集が大変で、3日間寝ずに撮影と編集を行いました。このクレイアニメが好評で、3作シリーズにしました。

 毎回、みんなが感想をくれたり、時には一緒に編集をしたりする映画制作のクラスが、USCで一番楽しい授業でした。ハリウッドで働きたいと本気で考えている学生の作品の中には、大学の課題と言えども、とてもプロフェッショナルなものもありました。

マリオのクレイアニメは好評でシリーズ化した

マリオのクレイアニメは好評でシリーズ化した

 このクラスがきっかけで、私は映画評論よりも映画制作、特に映画編集の面白さに目覚めました。カメラを持って撮影もしましたが、車椅子の私にはカメラを手に移動したり、カメラをのぞきながら撮影したりすることが難しく、“バリアフル”な場所でのロケ撮影は無理だと感じました。

 それよりも、出来上がった映像を自分の好きなタイミングでつなげ、その映像がすごくうまくつながったり、音楽と合わさってカッコ良く見えたりするようになった時の快感が病みつきになりました。このクラスを取ったおかげで、編集マンになりたいという新しい夢ができました。

 ◇母が帰国、1人暮らしが始まる

 USC生活にやっと慣れてきた頃、留学生活に大きな転機が訪れました。母に、がんが見つかり帰国することになったのです。私は大学の近くで1人暮らしができるアパートを見つけ、車に手動装置を付けて運転できるようにしました。

手動装置を付けた車を運転してどこへでも1人で行った

手動装置を付けた車を運転してどこへでも1人で行った

 アメリカに渡って5年。本当はもっと早くに自立すべきだったのかもしれません。母がいなくなり、とても寂しかったのですが、車を運転していろいろなところに一人で行けるようになり、少しずつ自信を付けていきました。日本から友達が遊びに来た時には、友達を乗せて、ロサンゼルスからラスベガスまで7時間かけてドライブしたこともあります。そして2011年には、ギリギリの成績ではありますが、USCも無事卒業できました(母はその後4年かけ、3度の手術と抗がん剤治療を経てがんを克服しました)。

 卒業後、日米のどちらで就職するか考えていた時、日本にいる父が送ってくれた本で、ハリウッドで活躍する日本人クリエイターの特集を読み、映画「グラディエーター」の編集を手掛けた横山智佐子さんという日本人女性が、私のアパートのすぐ近くにある「International School of Motion Pictures」(ISMP)という映画制作学校の校長をしていることを知りました。

車椅子でカメラを手に撮影

車椅子でカメラを手に撮影

 すぐに連絡を取り、横山さんに会って映画愛を伝えると、「うちの学校に来る?」と誘われ、入学させてもらいました。そこは、アメリカに映画を学びに来る日本人がいる学校で、アメリカ留学中の学生が入学するのは異例だったようです。

 ISMPでは映画制作を全て学生だけでやらなくてはならず、出演者のオーディションの通訳などで、日本から来たばかりの英語がまだ分からない学生に頼ってもらえることが増えました。それまでの私は、アメリカ人の中で全く英語についていけない状況だったので、少しでも頼ってもらえたことで自信が生まれました。この学校ではオーディションに来た俳優の卵の人らとも仲良くなることができ、映画制作をリアルに感じることができた楽しい日々でした。

南カリフォルニア大学の卒業証書

南カリフォルニア大学の卒業証書

 ◇どんな生き方をしてもいい

 7年間のアメリカ留学は、日本にいた時に描いていたような夢のような生活とは程遠く、簡単に英語をしゃべれるようにもならないし、人一倍努力をしなければ生きていけませんでした。その一方で、バリアフリーな上に多種多様な人々が暮らしているロサンゼルスにいると、自分が障害者であること以上に日本人であることの方が大切になり、障害者であることを忘れていきました。

 留学前には、「日本人は見ているだけで何もしてくれないし環境も不便。日本から逃げたい」、そんな気持ちでアメリカ留学を目標に生きていましたが、実際にアメリカで生活してみると、日本人の人への気配り、おもてなしの精神、時間通りに交通機関が運行している素晴らしさ、日本食の素晴らしさ、などなど、日本にいたら気付かなかった日本の良さも分かりました。

 日米のいいところをどちらも知ることができた7年間の留学生活を経て、私の世界観は、どんな人でもどんな生き方をしてもいいという自由な世界へ広がり、とても生きやすくなりました。(了)


中嶋涼子さん

中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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