「同じ症状の人や兄は救済され、どうして自分は救済されないのか」。水俣病特別措置法の救済対象外となった144人が損害賠償などを求めた集団訴訟の原告の一人、藤下節子さん(66)=熊本県天草市=が22日に熊本地裁で言い渡される判決を前に取材に応じ、悲痛な思いを語った。
 藤下さんが生まれ育った天草市は、八代海を挟んで水俣市の対岸に位置する。両親が漁師で、八代海で取れた魚介類を毎日のように食べた。
 子どもの頃から足がつることがあったという。15歳を過ぎたころ、直線がうまく引けなくなり、「不器用になった」と感じた。指先にしびれも出始め、看護師として30年以上働いたが、注射が上手に打てず、薬の瓶を落とすことが何度もあった。
 周囲で似たような症状を抱えた人が、水俣病と診断され、まさかと思いつつ病院へ。56歳の時、水俣病と診断された。重度の震えを伴う「劇症型」だけが水俣病と思っていたといい、驚いたが、同時に納得もした。
 2009年に施行された水俣病未認定患者を救済する特別措置法で、漁師だった兄2人は救済対象になった。だが、自分と姉は水俣病の被害とは認められず、対象外に。「兄と同じ食生活で育った。一体何で区切っているのか分からない」と首をかしげる。
 大阪に移り住んだ姉は昨年9月の大阪地裁判決で水俣病と認められ、喜びを分かち合ったという。「長く闘ってきた。熊本でもみんなを救済してほしい」。強い口調で語った。 (C)時事通信社