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重症心不全の患者を救う
~世界初の治療法実現へ―慶応大ベンチャー~

 心筋梗塞は怖い疾患だ。体内の血液を循環させるポンプの役目を果たしている心臓へ送られる血液の量が動脈硬化などで不十分になると心筋梗塞を起こし、心臓の筋肉(心筋)の一部が酸素不足で壊死(えし)してしまう。この心筋梗塞などの虚血性心疾患は最終的に心不全に至るが、現在、重症心不全に対する有効な治療法は存在しない。iPS細胞によって心筋細胞を作り出し心臓に移植するという、世界初の画期的治療法がごく近い将来、一般化されようとしている。慶応大学発のバイオベンチャーが海外の大手製薬企業とタッグを組み、早ければ3年後の製品開発を目指す。

マウスに移植したヒト再生心筋

マウスに移植したヒト再生心筋

 ◇壊死した心筋を置き換える

 このバイオベンチャー「Heartseed」の社長を務める福田恵一・慶応大学医学部教授(循環器内科)は「約120万人と推定される重症の心不全患者には、有効な治療法がない。それを科学の力で救いたい」と、iPS細胞を用いた心筋の再生医療に取り組んだ原点を語る。がんでは5年生存率が目安となる。重症心不全患者の5年生存率は、がんを下回る。壊死した心筋を新たな心筋に置き換えれば、心臓の機能は大きく改善する。

 不整脈、腫瘍化リスク極小化

 再生するのは心室筋だが、この分野の競争は激しい。同社の技術が優位に立つのはまず、iPS細胞から分化誘導だ。この際に心房筋やペースメーカーと呼ばれる細胞が混ざると、不整脈のリスクを招く。完全に心室筋に分化誘導させることでリスクを極小化した。

単一の再生心筋を凝縮させた「心筋球」

単一の再生心筋を凝縮させた「心筋球」

 次が純化精製の過程だ。未分化のiPS細胞や心筋にならない細胞が残ると、腫瘍化する恐れがある。そこで純化率をほぼ100%まで高めることで、腫瘍化のリスクを抑え込んだ。さらに、難題があった。患者の心臓に移植した細胞が生きて定着する率(生着率)だ。競合する他の研究グループの生着率が1~3%なのに対し、50%を超える。これは単一の心筋細胞を移植するのではなく、「心筋球」という凝縮塊を作り、移植することで可能になった。出血をほとんど伴わずに十分な数のiPS細胞を移植できる特殊な注射針も開発した。

 ◇マウスの移植心筋、1年後も拍動

 免疫不全のマウスに再生心筋を移植したところ、4カ月後に微小血管のネットワークが構築され、横紋という成熟した心筋の形態が現れた。移植した再生心筋は1年が経過しても拍動(収縮活動)を続けていた。

移植した再生心筋は1年後も拍動(赤い部分)

移植した再生心筋は1年後も拍動(赤い部分)


 福田教授は「全ては、一つの穴を深く、深く掘るようにしてたどり着いた独自の技術だ。安全・安心な再生医療を提供できると確信している」と、力を込める。

 ◇「破門」覚悟で初志貫徹

 道のりは平たんではなかった。「循環器医療の領域では生理学的研究が中心で、遺伝子レベルの研究はできなかった。これではいくら続けていても、目標は達成できない」。米国のカリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)を見学した時に、その思いは強くなった。

 「分子生物学的な研究はやったことがありませんが、頑張ります。ここで研究させてください」。福田教授の申し出に、UCSF関係者は「君は何年、米国にいるつもりなのか。日本で分子生物学的なことを学んでから、また米国に来なさい」とアドバイスした。そこで国立がんセンター研究所に「国内留学」しようとするが、当時の教授は激怒したという。

 「そんなことは許されない。勝手なことをするやつは破門だ」。それでも福田教授は「破門されてもいい。自分のやりたいことをやる」と初志を貫く。がん研研究員を経て、米国のハーバード、ミシガン両大学医学部への留学を果たした。

福田恵一教授

福田恵一教授

 ◇ドナーが要らない「心臓移植」

 心臓移植が始まった頃、手術を実施した患者は数日から数十日で死亡し、「人殺し」などと批判された。しかし、免疫抑制剤により長期間生きることが可能となり、移植は心不全の最後の治療法と言われるようになった。人の命を救うために創意工夫を継続した成果だ。

 ただ、心臓移植にはドナーの不足という問題が付きまとう。心臓移植は日本で年間約50例、進んでいる米国でも約2000例程度という。移植を待ちながら亡くなる人たちが大勢いる。一方、心筋を再生する医療について福田教授は「ドナーを必要としない『心臓移植』だ」と言い、革新的な治療法であることを強調する。

 ◇日本から世界に発信

 「誰かが本気でやろうとしないと達成できない。周りを見て、誰もやろうとする人間がいなかったので、では自分でやろうと考えた」と福田教授は振り返る。どういう研究をすればよいのか突き詰めた上で、心筋の再生と移植を実現、産業化できると確信。2015年、リスクを負ってHeartseed社を設立した。

 Heartseedが提携するノボノルディスク社(デンマーク)は、糖尿病に関する世界市場でトップのシェアを誇る。幹細胞治療の専門組織を有し、資金力も豊富だ。提携契約によると、最大で約650億円の資金が治験や製品開発などに投じられる。福田教授は「世界169カ国に拠点を持つことも大きい。日本発・世界初の心筋再生医療を最速で世界に広げられる」と語る。(了)

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