一流の流儀 「信念のリーダー」小久保 裕紀WBC2017侍ジャパン代表監督
(第10回)固い王さんとの絆
その血を受け継ぐ
2012年10月8日、福岡のソフトバンクドームで、この年限りで引退を表明していた小久保裕紀さんの引退セレモニーが行われた。その日は41歳の誕生日、3万人を超えるファンが歌うハッピーバースデーの歌がドームにこだまし、用意されたケーキのプレートには「Happy Birthday to our Captain!」と書かれていた。小久保さんが選手からいかに信頼されていたか、ファンにいかに愛されていたかがうかがえるエピソードだ。セレモニーでのあいさつで、ホークス入団2年目、王さんとの出会いが自分の転機となったと語った。
「技術的なことはもちろん、プロとしての考え方や生き方、厳しさ、心構えなどすべてを教わりました。今、僕の中にもその血が流れています」と心からの感謝の言葉を述べた。球団会長になっていた王さんから花束を贈られると、満面の笑顔から一変し、感極まって涙を流した。
「僕は『若い選手はお前を見ている』と24歳の時から言われていました。『僕もまだ若いはずなんだけどなあ』と感じながらも、手本となるような選手を目指す意識をずっと持ってやってきました。それが、自分の中に血として流れています」
「選手としての意識、使命感、主力は若い選手の鏡にならなければならない」。侍ジャパンに選ばれた選手に、ずっとこう話し掛けてきた小久保さん。「自分の血として」というあいさつの言葉は、王さんの精神を受け継ぎ、次代の選手に伝えていることを指すのだろう。
小久保さんの目には、ぶれない王さんの姿が焼き付いている。
王さんは、弱かった時代からダイエーの監督になり、ファンから卵を投げつけられたり、発煙筒をたかれたり、横断幕に『頼むから、王やめてくれ』と書かれたりした。それでも、一切言い訳はしなかった。「あそこまで言われたら、投げ出したくなったり、反発したくなったりします。でも、そうはせずに『とにかくお前たちに勝つ喜びを味あわせてあげたい』としか言わなかったのです。すごいですよね。そういう姿を見ていたので僕も何の言い訳もせずに監督をやったわけです。結果として、王さんの言っていたことは正しかった」
王さんも小久保さんも人格者だ。もちろん努力はしたが、天賦の才を与えられた人には違いないように見える。才能と努力の違いを尋ねてみた。「努力という言葉を簡単に使うな。そう王さんに教わりました。『報われない努力があるとするならば、それはまだ努力と呼べない』と言うのです」。小久保さんも講演でこの話を紹介することがある。
小久保さんが久しぶりに、王さんが引退してすぐに書いた「回想」(勁文社)という本を読んでいて、新たな発見があったと言う。
「僕は監督の姿しか知りませんが、現役を辞めた時にはまだこんな考えだったのですね。『銀座の街をサンタクロースの格好をして歩いたら、王貞治とばれなかったのでうれしかった』『王貞治として振る舞わないとこんなに楽なのか』などと書かれています。しかし、監督になって中洲の街を歩いていて『あ、王さんだ』と言われないと不機嫌になるのです。歳を重ねて変わったのだなあ、と思いました」。そう、うれしそうに語る小久保さん。王さんとの堅固な師弟関係がうかがい知れる。(ジャーナリスト/横井弘海)
(2018/09/25 10:56)