一流に学ぶ 「美と健康」説くスポーツドクター―中村格子氏

(第9回)
世間からの注目に戸惑い
一時は引きこもり状態に

 「大人のラジオ体操」は、瞬く間に全国でブームとなり、中村格子氏の下に全国各地から「体操指導に来てほしい」という依頼が殺到する。

 「出版社の人と書店回りをしながら、テレビにもラジオにも出て、講演に行ったり、ラジオ体操のイベントに行ったり。全部は行けないので断るのが大変で。それまで普通の医者で一般人だったのが、急に有名人みたいになってしまって、ものすごく戸惑いましたね」

 街を歩いていても「あれ、中村格子」とヒソヒソ声で話される。レストランで食事をしていても、デパ地下で買い物をしていても、「応援してます」などと声をかけられる。

 「いったいこの場所で何人が私のこと知ってるんだろう、と思うとこわくなって、だんだん家から出るのが嫌になりました。例えば下着とか買いに行って、サイズが分かるとウエストが公表よりちょっと太いとか思われないかなと思ったり。買い物は全部、ネットでするようになりました。通販でも私、本名だから『中村格子からオーダーが来た』とか『安いとこで買ってる』とか、思われるのかなって」

 子どもの頃から目立つ存在だったのを気にして、中学時代からはできるだけ目立たないように気を付けていたつもりだった。それが、急に世間の注目を集める存在になったことに、居心地の悪さを感じていた。

 「自分がDVDに出て本を出すなんて、夢にも思っていなかったから、カメラの前で『笑って』と言われても笑えなかったし、スタジオでスクワットしながら『何で私、こんなことやってるんだろう』と思いました」

 そんな時、いつも応援してくれたのは父親だった。「最初の本の出版が決まったことを話すと『世の中広しと言えども、40代の整形外科医でこんなことやらせていただけるのは格子しかいない。こんな機会はなかなかないぞ』と。大人のラジオ体操の話をした時も『これは目の付け所がいい、100万部以上いくな』って。うちの父はいつもポジティブで、いつも父の言う通りになるんですよ。これは感謝して頑張ろう、と気持ちを切り替えました」

 ◇クリニック開業を決意

 中村氏は「大人のラジオ体操」の印税を使い、東日本大震災の被災地を支援するため、同級生らと共に「チームロータス」を結成。仮設住宅をキャラバンカーで回り、被災者と一緒にラジオ体操をするイベントを開いた。

チームロータスの仲間と。左から4人目が中村格子氏

 この時、国立スポーツ科学センターの職員だったが、公務員ではなかったので、報告さえきちんとすれば副業は認められていた。しかし、知名度が上がるにつれ、周囲からの風当たりも強くなっていった。

 「ここは競技スポーツの強化拠点だから、健康スポーツじゃなくて、もっと競技スポーツの仕事をしてほしいと言われて、悩みました。でも、『国民の健康に役立っているから』と温かく応援してくれる人たちもいて、そのおかげで、任期を最後まで勤め上げることができました」

 任期を1年間延長して5年目の秋、中村氏は自らのクリニックを開業することを決めた。

 「勤務先ではトップの強化指定選手しか診ることができません。非常勤医師として、一般病院の整形外科で時々、外来も担当していたんですが、『テレビでやってた、あれ教えて』と言われると、つい教えたくなってしまって。それなら自分で理想のクリニックをやればいいんだと思ったんです」(ジャーナリスト・中山あゆみ)

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◇中村格子氏プロフィルなど





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