一流に学ぶ 心臓カテーテルのトップランナー―三角和雄氏

(第1回)
にわか仕立ての名前「和雄」
つらい入院、夢のきっかけに



 「母は僕を産んだ瞬間、男の子だと分かって目の前が真っ暗になったそうです」。三角和雄氏は、1957年大阪市で祖父の経営するプラスチック加工会社に勤める技術職の父、専業主婦の母の次男として生まれた。四つ上の兄がいたため、「次は女の子」と期待され、母親の28歳の誕生日に生まれるようにと狙い授かった子だった。

 「家族、親類、友人が皆、母のおなかの形から、女の子だと言って楽しみにしていたそうです。しかし僕を取り上げた産科の先生が、残念そうな顔で『奥さん、付いてましたわ』と言ったそうです」。両親は女の子の名前しか考えておらず、母親の誕生日と同じ日に生まれたため、とりあえず父親の利雄、母親の和子から一文字ずつを取ったにわか仕立てで和雄になった。

 父親は浜松高等工業学校(現・静岡大学工学部)を卒業後、エンジニア一筋で典型的な昔かたぎの人。家庭をほとんど顧みない夫に対し、母親は教育熱心で、兄弟は大阪学芸大学(現・大阪教育大学)の付属幼稚園から高校まで一貫校に通った。

 「兄は『英雄』という名前の通り三角家の英雄だからと、小学校の頃から塾だ、家庭教師だってやっていて、僕の方は結構ほったらかし。でも親に言われなくてもコツコツ勉強して、そこそこできる方でした」

 母親は三角氏の小学校時代からの勉強ノート、作文、絵画などをファイルに整理して保存していた。小学6年の理科の勉強ノートには、学校で習う範囲をはるかに超えた心臓と血管の仕組みが硬筆のお手本のような美しい文字とイラストで描かれている。表彰された絵画もしわ一つない完璧な形で残っている。

 「基本的に母は捨てられない性格で、取っておくのが趣味だったんですよ」と三角氏は謙遜するが、将来、世の中に公表することを予見していたのかもしれない。

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