一流に学ぶ 心臓カテーテルのトップランナー―三角和雄氏

(第1回)
にわか仕立ての名前「和雄」
つらい入院、夢のきっかけに

 ◇「りっぱな医者に」

 「最初は佐藤栄作さんに憧れて、総理大臣になろうと思ってたんですよ。東大法学部に行って、大蔵省主計局長になって国会議員になって…って」。将来の夢が変わるきっかけは突然訪れた。小学2年のときに運動会から帰宅すると、急に熱が出て、40度を超える高熱が1週間続いた。

 「最初はただの風邪だろうと思っていたら、なかなか熱が下がらないので、近所に開業していた父の知り合いの小児科に入院しました」。溶血性連鎖球菌という細菌感染が原因で起こるリウマチ熱だった。高熱と腸炎のため食事も取れず、栄養は点滴だけという入院生活は、かなりつらいものだった。

 病室の天井を見ながら「これからどうなるんやろ、いつ学校に行かれるんやろ」と考えていた三角氏。少し良くなるとチョコレート、バナナなど食べたいものをリストアップしていたという。

 入院は約1カ月半に及び、2学期はほとんど学校に通えなかったが、学期末テストではほとんど100点だった。「『勉強せんかったら遅れるで』と親に言われたので、入院中も勉強してましたね」と三角氏。担任教諭は教室で「三角君は休んでも100点、君らはなぜ100点取れないんだ」とハッパをかけたという。

 入院先の医師は大阪大学では将来、教授間違いなしと言われた逸材だったが、若くして開業。地元でも人気が高く、常に患者が集まっていた。「朝昼晩と回診してくれたし、家にいたら治らないものが入院したら良くなった。やっぱり医者っていいなと思いました。その後、父方の祖父ががんで亡くなったこともあって、小学6年のときには医者になろうと思っていました」

 小学生の三角氏は作文に「ぼくのゆめは、将来りっぱな医者になることです」と書いた。その後は自分の夢に向かい、着々と準備を進めていった。(ジャーナリスト・中山あゆみ)

→〔第2回へ進む〕「縁ある所に行くもんだ」=運命変えた受験、上京へ

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