「医」の最前線 AIに活路、横須賀共済病院の「今」

〔第3回〕救急車を全応需
持続的に発展できる病院に

 人工知能(AI)の開発による働き方改革に着手した横須賀共済病院は一時期、救急車全応需の方針がなし崩しにされ、急患の依頼がきても待たせたあげく一部断っていた。2014年に長堀薫氏が院長に就任してからは、地域住民が困ることがないよう、救急車を断らずにすべて受け入れる方針を改めて徹底。持続的に発展できる病院への再生が進められた。

救急搬送された患者

 ◇赤字寸前

 「ここまで落ちるとは思っていませんでした」。約1年半ぶりに横須賀共済病院に戻ってきた長堀氏は、病院の危機的状況にあぜんとした。閉鎖の危機にひんしていた小児科は、復帰後すぐに対策を講じて、ぎりぎり乗り切った。しかし、問題はそれだけではなかった。

 「救急車の受け入れを2割ほど断っていて、外科手術の件数も1割減。病院経営が赤字になる寸前でした」

 長堀氏がかつて分院長、副院長だったときに「この病院は三浦半島の最後の砦(とりで)。急患はまず受け入れて、どうしても対応できない場合は、他の医療機関につなぐ」と決めておいたはずだった。

 それが、条件がそろわなければ救急車を断っていた。院長就任後にあいさつに回った開業医からは「救急患者を送ろうとして電話したら、15分もたらい回しにされたあげく、ベッドが空いていないからと断られた。患者さんを待たせているのに」と苦言を呈された。「横柄で感じが悪い」「医者が威張っていて敷居が高い」という患者からの評判も聞かされた。

 ◇強力なリーダーシップ

 長堀氏が救急車全応需の方針を打ち出したのは、横須賀共済病院の診療部長に就任した2005年。職員たちは「自分はそんなつもりで病院に来たのではない」と猛反発したが、講堂に職員を集めて「うちみたいな基幹病院は救急を受け入れるのが使命。三浦半島の最後の砦としてみんなを守るんだという意識で仕事をしてほしい」と訴えた。

病床管理を一元化

 即座に解決しなければならない重要課題を前にしては、「〝信長的〟なリーダーシップ」で押し切るしかなかった。

 それが約1年半の不在の間に、なし崩しになってしまったのだ。

 「もともと優秀な職員たちですが、自分で問題を考える自立性が弱いことが問題でした」

 長堀氏が院長に就任すると、再び、救急車全応需の方針を徹底した。「どうしても断らなければならない理由がある場合もあるだろう。その場合は翌朝、俺のところに説明に来い」と長堀氏が言うと、誰も来ることはなかった。

 「理由があれば仕方ないと言ったのに、当時は僕が相当怖かったらしいですね。毎朝、きょうも院長に報告に行かないで済んだとホッとしていたらしいです」

 ◇ベッド管理を徹底

 救急車をすべて受け入れるためには、手術室や病棟の受け入れ態勢を整備しておく必要がある。そのためのシステムも作った。

新規入院患者数が右肩上がりに増加

 院長就任直後に病床管理室を発足させ、病棟ごとにばらばらだったベッドコントロールを一元化して、空きベッドの状況をスムーズに把握できるようにした。(写真)併せて、急性期の治療を終えた患者がスムーズに転院や在宅療養に移行できるよう地域の医療機関と連携を進めた。

 緊急手術が必要な患者が来ても、すぐに対応できるよう、手術室の管理も徹底した。

 「オペ室を仕切っている副院長が、すべての外科医がどのくらいの時間で手術を終えられるかを把握しているので、緊急手術にも対応できる。隙間なくオペ室が使えるようコントロールしています」

 あらゆる努力を重ねた結果、長堀院長の復帰から2年で救急車の年間受け入れ台数は8,745台から9,854台に増加。平均在院日数は大幅に短縮され、新規入院患者数は右肩上がりに増えていった。(医療ジャーナリスト・中山あゆみ)

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