国境なき医師団
スーダン北ダルフール州の州都エル・ファシールで5月11日の夕方、国境なき医師団(MSF)が支援するバビカー・ナハル小児科病院からわずか55メートルの地点に、スーダン軍(SAF)の空爆による爆弾が着弾した。これにより病院の集中治療室(ICU)の屋根が崩落し、患者の2人の子どもと、少なくとも1人の介護者が死亡した。現在、病院は閉鎖を余儀なくされている。MSFは、すべての紛争当事者に対し、国際人道法とともに、約1年前にアラブ連盟で採択された「ジッダ宣言」に基づき、民間人と医療施設の保護を徹底するよう緊急に要請する。
被害を受けたのは数少ない小児専門病院
バビカー・ナハル小児科病院は、昨年4月にスーダンで紛争が始まって以来、数少ない小児専門の病院のひとつとして地域で機能。他の多くの医療施設が閉鎖を余儀なくされたため、ダルフール全域から患者を受け入れていた。
事件に先立つ5月10日、北ダルフールではSAF合同軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の間で激しい戦闘があった。その結果160人の負傷者(31人の女性と19人の子どもを含む)が、MSFが支援するエル・ファシール南病院に運び込まれた。負傷者のうち25人は到着時に重体であり、その後死亡した。
11日の戦闘はバビカー・ナハル病院の近くで発生したため、院内のほとんどの患者が逃げ出し、その多くがエル・ファシール南病院に向かった。バビカー・ナハル病院で治療を受けていた115人の子どもたちのうち、空爆があった時刻に病院に残っていたのは10人だった。
ICUにいた「命を救えたはず」の子どもたち
MSFの緊急対応責任者であるミシェル・オリビエ・ラシャリテは、声明で次のように述べた。「スーダン軍による空爆に巻き込まれ、小児病院のICUで治療を受けていた子ども2人と介護者1人が死亡しました。この病院では115人の子どもたちが治療を受けていました。
すでにスーダンでは、紛争のために稼働する医療施設はあまりにも少なかったのです。もともとあった小児科病院は、紛争が始まったときに略奪を受けたため、患者の子どもたちは、昨年5月と6月にMSFが修復・拡張した小さな診療所に避難させられました。小さな診療所を病院として機能するように改良するのは、特に紛争が活発化している最中には容易なことではありませんが、それでもダルフール地方に残る数少ない小児病院のひとつとなりました。
ダルフールの他の地域では医療施設が不足していたため、幅広い地域から患者を受け入れました。エル・ファシールと近隣の国内最大の避難民キャンプであるザムザム・キャンプの壊滅的な栄養不良の危機に対応するため、対応を拡大しようとしていた矢先のことでした。
事件のあった当時、病院に入院していた115人の子どもたちは、マラリア、肺炎、下痢、栄養失調などの治療を受けていました。現在、多くの子どもたちはまったく治療を受けていません。空爆の犠牲になった子どもたちは、ICUで危篤状態にありましたが、命は救えたはずです。このようなことは二度と起こしてはなりません。
MSFは、紛争当事者に対し、病院や保健施設が紛争の標的となったり、巻き込まれたりしてはならないことをはっきりと示し、民間人の保護を徹底するよう強く求めます」
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(2024/05/13 12:58)
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