2024/12/12 05:00
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昨今、女性医師の増加は著しく、若い世代の医学部入学者は女性が3分の1を占める。女性医師の場合、妊娠・出産の時期と修練の時期が重なることで、子どもを持つことを諦めたり、医師のキャリアを断念したりすることが多い。外科研修中に結婚し、3人の子を出産、常にキャリアアップに挑む藤川善子医師に、周囲の支えやハラスメント、女性が外科医として働く現実について語ってもらった。
藤川善子医師
◇外科医の父を超えてやる
私は外科医の父を持つ3人きょうだいの長女として生まれました。決して家庭的とは言えなかった父親への反抗心からか、高校時代に「父親を超えたい」という感情が芽生え、1浪して埼玉医大に合格しました。
学生時代に参加した外科プログラムで、チームで治療を進めていく手術室の緊迫感や病棟の雰囲気を感じ、それまで抱いていたネガティブな外科のイメージが一変して、すっかり魅了されました。5年生の病棟実習が始まると、とにかく手術室に入りたい一心で医局の電話に自分の携帯番号を貼り付けると、夜間の緊急移植手術に呼ばれ、緊張しながら手術室に入った時のことを今でも思い出します。
◇研修医時代に結婚し、子どもは3人と決める
学生時代の実習で産婦人科を回った時に、同じ年代の妊婦さんたちを見て、妊孕(よう)性(妊娠するための力)について考えるようになりました。できれば子どもは若いうちにつくりたいと思っていました。医学部を卒業し、横浜の病院で同じ研修医だった夫と26歳で結婚し、子どもができても医師を続けることに賛成を得ました。
◇慣れない環境で初めての妊娠
外科に入局の際、医局長に出産を希望していることを伝えたところ、その医局では出産後、診療を続けている外科医の前例が無いため、女性医師の在籍が多く、院内の保育所が充実している関連病院に配属されました。間もなく妊娠が判明。まだ医師としての業務に慣れない中、初めての妊娠は体調の変化も激しく、当直は免除されても、休日当番を引き受けると翌日は寝込んで迷惑を掛けていました。それでも臨月ギリギリまで可能な限り、手術室に入らせてもらい、産休前の最後の日には胃の全摘手術をやらせてもらいました。
◇外科医として職場復帰は前代未聞
29歳で無事長女を出産し、母となった喜びに満たされながらも、夜遅くまで仕事に明け暮れる夫や、経験を積んで腕を上げていく同期に焦りを感じ始めました。配属先の病院は外科医が出産後に復帰するのは初めてで、手探り状態でした。「1日も早く復帰したい」と病院長に相談したところ、女性が子育てをしながら外科医として仕事を続けるなら、とにかく必要とされる資格と技術を身に付けるようにアドバイスされました。
◇復帰後に手術ができないことへの焦り
復帰後の最初の職場は、外科ではなく健診センターで、配慮とはいえ悔しい思いをしました。けれども当時はそんなことを言ってはいられず、「仕事をさせてもらえるだけでもありがたい」と自分に言い聞かせました。子どもを院内保育に預け、健診センターの診療の合間に授乳し、業務をこなし、クタクタになりながらも「外科医として腕を磨きたい」という思いは消えませんでした。手術スケジュールをチェックして、呼ばれてもいないのに毎日のように手術室に赴き、「どんなことでもいいから手伝わせてください」と上司に掛け合いました。
消化器内科外来にて オンライン診療の様子
◇心臓血管外科への異動、専門医取得を目指す
そんな私の姿を見て、外部の病院の医師から声が掛かり、その医師の所属する病院の外科への異動を決めました。そこでは午前は病棟か外来、午後は毎日のように手術が入り、外科医として一番成長できた研修先でした。そうなると次は「外科専門医を取得したい」という新たな野心が湧き上がりました。専門医資格取得は専門外の複数の分野を回る必要があり、心臓血管外科は大学病院に戻る必要があります。週1回出入りしていた教授に相談したところ、所属する医局の心臓外科のスタッフとして半年間しっかり回れるよう応援してくれました。
心臓外科での研修中に先天性の心疾患を持つ子どもを担当することもあり、小さな患児を抱っこして手術室に入室、残念な結果に終わった時は同じ子を持つ親としての感情があふれそうなことが何度もありました。教授は「いつもその心を忘れないように」と支えてくれました。
◇子宮外妊娠で緊急手術、一命を取り留める
無事に研修を終え、一般外科に戻り、スタッフとして忙しい毎日を送る中、第2子の妊娠が判明しました。子宮外妊娠でした。激痛が走り、不正出血が続いても代わりがいないため欠勤できず、自分の診療を終えてから院内の婦人科に駆け込んで緊急手術をしてもらいました。子どもは残念でしたが、自分の命は助かりました。手術後、病室に医局長が訪れ、翌週の手術から復帰するよう伝えられました。婦人科の担当医が「せめて2週間は休ませてほしい」と頼み込んでくれましたが、その時、自分の体は自分で守るしかないと痛感しました。
◇妊娠中に手術以外の研さんを積む
回復後は順調に手術室に入り、次々と症例をこなしていましたが、32歳の時に妊娠が判明。「妊娠中も手術を続けたい」という私の思いとは裏腹に、周囲の配慮で全て外されました。手術室では手術以外にもやることがいっぱいあり、臓器の検体を整理し、病理科に出したり、手術中に急変があった時の病棟へ指示したり、見学に来た学生さんたちからは「おなかが大きい先生が一番動き回っている」と驚かれました。妊娠中は精力的に論文を書き、学会で発表して業績を作り、手術から離れても外科に関わっていることで充実感がありました。
◇同僚たちのハラスメント
その後、第2子を無事出産し、近所の保育ママさんに預けて仕事を続けました。直属の部長からは「産休明けで体力的にはまだだろうから、病棟に出なくてもカンファレンスに出たり、医局で自分の勉強をしたりしてていいよ」と言ってくれました。それが特別扱いされていると同僚たちの反感を買い、たまっていた鬱憤(うっぷん)がハラスメントに変わっていきました。部長に言われて手術室に入っても露骨に妨害され、部長が取り持ってくれても医局内の雰囲気は悪化する一方で改善しませんでした。毎朝、搾乳して冷凍し、2人の子どもたちを預けながらの勤務は体力的にもギリギリの状態で、さすがに心が折れてしまいました。周りに嫌な思いをさせてまで続ける必要性が感じられず、外科の常勤から外してもらいました。
(2022/11/10 05:00)
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