2024/12/12 05:00
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「待っていても結婚できない」―。産婦人科医として多忙な日々を送る柴田綾子医師は40代を目前に一念発起して婚活アプリに登録し結婚。不妊治療の負担を経験し、特別養子縁組で子どもを迎えた。現在、夫と協力しながら仕事と育児に奮闘している。不妊治療の当事者となり、自ら育児を経験することで見えてきた少子化社会の課題、血縁にこだわらない新しい家族の在り方について心境を語ってもらった。
柴田綾子医師
◇貧困地域で見た光景から医学の道へ
高校時代、医者になりたいと思ったことはなく、医学部は受けてみたものの失敗し、情報文化学部に入学しました。旅が好きで大学時代はバイトざんまい、お金がたまると世界遺産を中心に各国を訪れました。発展途上国で目にしたのは、やせ細った子どもたちと母親が物乞いをする悲惨な光景でした。貧困地域では経済的に弱い立場の女性と子どもが真っ先に犠牲となる。手に職を付けて女性や子どもを支援できないかを模索するようになり、医学部の再挑戦を決意し卒業後に編入学しました。医学部時代はフィリピンのヘルスセンターに母子保健の活動家に会いに行ったり、アフリカの電気が通ってない地域で医療支援を行うNGOの見学に行ったり、予防医療のボランティアとして海外での活動に参加しました。
◇自然なお産を安全に導く医師に
6年生の時に家庭医療(プライマリケア)に出会い、海外では一人の医師が赤ちゃんからお年寄りまで患者を生涯にわたって診る「かかりつけ医制度」があることを知り、感銘を受けました。また、産婦人科の病院実習では、医療で完全に管理できない「非医療」であるお産を目の当たりにします。患者さんを医療技術で管理することが医師の役割と考えていたのですが、妊娠・出産は、一人一人の経過が大きく違い、いつ何が起こるか分からない。医師が出産を安全に導くことの責任と重要性を感じました。プライマリケアと産婦人科医療を学び、女性の健康や生活を生涯にわたって支えられる産婦人科医を目指したいという方向性が固まっていきました。
◇女性医師でも知らない妊娠適齢期
医学部での授業では、女性のライフプランの立て方や医師としてのキャリアパスについて知る機会はほとんどありませんでした。初期研修中は専門医を取得し、スキルアップする男性医師と同じようなモデルをイメージしていましたが、後期研修が終わりになり気が付くと、「いつ結婚すればよいのか」「家庭と仕事は両立できるのか」などと、戸惑いを感じている女性医師が大勢いました。
妊娠出産には適齢期があります。実は、女性医師でも「35歳ごろから少しずつ妊娠しにくくなること」を知らない人が多いのです。専門医の研修プログラムを必死でこなしているうちに、気が付いたら結婚や妊娠出産の時期を逃してしまっている人も少なくありません。
一般の人からすると、医師の働き方は想像を超えています。月曜から金曜まで日勤、土日は夜に当直、勤務外での出勤も普通にあります。結婚するに当たって、パートナーには医師の働き方を十分理解してもらう必要があります。女性医師の相手が医師や医療者であることが多いのはそういう理由もあります。ただ、医療者同士の結婚はどちらかが仕事をセーブしない限り、妊娠出産後の生活の維持が難しく、離婚してしまう人もいます。
海外(ミャンマー)での医療ボランティア
◇婚活しないと結婚できない現実
私はのんきに「いい出会いがあったら結婚して家庭を持ちたい」と考えていました。「そんな悠長なこと言っていたら一生結婚できませんよ」と後輩からすぐに婚活アプリに登録するよう勧められました。確かに日々忙しく働く生活で、出会いがいきなり降ってくるはずもなく、「婚活しないと結婚できない」という現実を突き付けられたのは30代も終わりに差し掛かる頃でした。
さっそくアプリに登録することにしました。婚活のためのマッチングアプリはいろいろな種類があり、医師専用というのもあります。私は医療者同士の結婚を目標としていなかったので、自分の職業は明かさず、いろいろな人が利用するアプリに登録しました。結婚相手の条件として重視したのは、「結婚後も女性が仕事を続けることに理解を示し、自分のことや家事をきちんとできる人」という点です。年収・身長・職業などは特に指定せず、マッチングした人とは仕事帰りや土日に片っ端から会うようにしました。1回会ってすぐに違うと感じる人や2回、3回と会ってみてやはり違うと感じる人、もちろん向こうから断ってくることも多々あります。地道に面談を重ね、婚活を始めてから1年ほどで、ようやく「この人となら」というパートナーに出会うことができました。
◇不妊治療を続けることの難しさ
年齢的なこともあり、結婚後はすぐに妊活を開始。最初は排卵日に合わせて性行為をする「タイミング法」から始めてみたのですが、なかなか妊娠に至りません。1度だけ妊娠したものの赤ちゃんの心拍が止まってしまう「稽留(けいりゅう)流産」となり、子宮内掻爬(そうは)術を受けました。それならと不妊治療を開始しましたが、忙しい仕事の合間に何度も産婦人科を受診し、毎日のホルモン注射の手間や、先が見えないまま治療を続けることの負担の大きさを痛感。治療を開始して1年半、39歳で行った1回目の体外受精を最後に治療を断念しました。
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