一流の流儀 「海に挑むヨットマン 」 白石康次郎 海洋冒険家
(第1回)30年かけ、世界1周へ
ヨットの本場で挑戦
「ヨットを始めてから、このレースに出るまで30年もかかりました。最初に世界一周をしてからでも25年。いつかヴァンデ・グローブに出たいと思っていました」
ヴァンデ・グローブは、ただ一人で全長60フィート(約18.28メートル)の外洋レース艇を操り、どこの港にも寄らず、誰からの援助や補給も受けず、南半球一周約2万6千マイル(約4万8千キロ)を帆走するスピードレースだ。トップでゴールしても80日、約2000時間はかかる世界一過酷なレースとして知られる。「僕が初めて単独無寄港で世界一周した時は176日かかりました。その半分の時間で帰ってくるわけですから、スピードが速い分、ものすごく難しいレースです」
このレースは「BOCチャレンジ(現在のアラウンド・アローン)」という、航海中に寄港できる単独世界一周ヨットレースを2度制した名選手フィリップ・ジャントウが、「今度は無寄港でやろうよ」と発案して始まったという。「だから、スタート地点は彼の出身地のレ・サーブル・ドロンヌなのです」
ヴァンデ・グローブのレースには、白石さんも縁があった。
「1982年の『第1回BOCチャレンジ・クラスⅡ』に、僕の師匠である多田雄幸さんが手づくりのヨット『オケラ5世号』で優勝し、欧州で多田さんの名前が一躍とどろきました。その多田さんの良きライバルがフィリップ・ジャントウさんでした。多田さんは出場を打診されたのですが、スポンサーが見つからず、出場がかないませんでした。僕のヨットは、師匠の多田さんの名前をいただいています。古い人たちは、僕が多田さんの弟子だと知っています。そのおかげで皆さんがとても暖かく迎えてくれました」
「大航海時代も世界一周にはこのコースを使っていたんですよ。風だけを頼りにするヨットでは、大西洋から出発して太平洋を抜けるためにスエズ運河もパナマ運河も使えません。北半球に行くと、北極に氷があって通れないので、南に行くしかないのです」
白石さんを含め第8回大会(2016―2017年)に出場したのは10カ国29選手。初めてアジア人が参加した。
「ヨットに対する捉え方は欧州と日本では違います。かつて海を制することは世界を制することでした。大航海時代を経験した彼らにとって、ヨットは遊びではありません。日本人の剣道と柔道に対する感覚と近いものがあると思います」
早朝5時、人口1万5千人の小さな街に集まった100万人もの人々が歓声を上げ、過酷なレースに挑戦する白石さんら選手全員を敬意を持って送り出した。(ジャーナリスト/横井弘海)
(2018/10/16 10:00)
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