妊婦の不安を取り除く
~感染時期がポイントに―トキソプラズマ感染症~
トキソプラズマ感染症は昔からある病気だが、認知度はあまり高くない。トキソプラズマ原虫が原因となるこの病気は健康な人が感染しても多くは無症状だ。ただ、免疫力が弱くなっている人は脳炎などの重い症状を招く。さらに、妊娠中の女性から胎児に感染した場合は流産や出生後の子どもが視力障害になったり、精神運動遅延を起こしたりする恐れがある。
妊婦が感染しても全員に影響が出るわけではなく、一部にとどまる。しかし、検査で陽性となった妊婦は大きな不安を抱く。日本大学医学部の森岡一朗・主任教授(小児科学分野)は「妊婦の不安を払拭することが大切だ。同時に、本来は必要がないとみられる投薬を減らしたい」と強調する。このためには、妊婦の感染時期を把握することが重要だ。
トキソプラズマ感染症を引き起こす原虫
◇重症化しやすい妊娠初期
母親が初めて妊娠中にトキソプラズマに感染し、胎盤を通して胎児に感染してしまうのが先天性トキソプラズマ症だ。妊娠初期ほど重症化しやすく、知的障害を持つ子どもになったり、目の障害を引き起こしたりする可能性がある。 さらに、流産や死産の原因となることも分かっている。一方、妊娠後期には胎児への感染率は上昇するが、症状は軽い。
2019年の報告では、妊娠初期の妊婦の初感染率は0.13%で、10000分娩当たりの感染児の発生は最も少ない北海道で0.9人、最も多い宮崎県で2.6人と推計されている。患者数が少ないとはいえ、母親からの胎児へのトキソプラズマ感染で将来、子どもが病気になるかもしれないと不安になる。
3歳児健診で子どもの視力が落ちていると知り、同病院を受診したケースがあった。「実はトキソプラズマが原因だったのですよ」。すると、母親はショックを受けたという。
森岡一朗・日本大学医学部主任教授
◇胎内感染のリスク見極める
検査は、血液中に最も多く含まれている免疫グロブリンのIgG(免疫グロブリンG)を調べる。これが陽性であれば、感染後早期にに作られるIgM(免疫グロブリンM)を調べる。
森岡教授は「IgG陽性は過去に感染したことがあり、IgM陽性は現在、感染していることを示す。ただし、診断には難しい面があり、専門医も少ない」と言う。
IgMが陽性であれば初感染が疑われるため、先天性トキソプラズマ症の発生を抑制するスピラマイシンという抗菌薬の投与を開始する。この薬は18年8月から保険適用になった。ただし、初感染でなくても陽性になる場合がある、
そこで、IgGアビディティーという値を測る検査法がある。これが高値であれば、感染してから時間がたっていることが確認できる。森岡教授は「胎内感染のリスクを見極めるための有効な検査法だ。検査結果が高値だった場合、感染後4カ月以上経過したことを強く示すため、妊婦は医師と相談の上でスピラマイシンの投与中止を検討することができる」と話す。
◇食文化の違いで発症率に差
トキソプラズマ症を引き起こす原因の一つが、原虫が潜んでいる可能性がある生の肉や十分に加熱していない肉を食べることだ。
トキソプラズマ症の発症率は、国や地域によって差がある。そこには、生肉を好んで食べるかどうかという食文化が関係している。
フランスでは妊婦のトキソプラズマ抗体保有率が高く、03年における保有率は44%だ。このため、抗体スクリーニングや抗体陰性ものに対する月1回の検査などの感染予防プログラムが実施されている。一方、米国や英国ではトキソプラズマ抗体保有率が低いとされている。
日本でも馬刺しや鳥刺しを好んで食す地域は感染のリスクが高いとされる。このところ、人気が高まっているジビエについても、同じことが言えるだろう。患者会などは、妊娠したら生肉を避け、肉は十分に加熱して食べることを勧めている。ステーキもレアは避けた方が良いだろう。
◇猫は飼ってもよいが
トキソプラズマ原虫は猫のふんにも潜んでいる。
猫については、昔と違ってノラ猫は少なくなったといわれる。公園などの砂場も今は管理がしっかりしており、砂場の土に入った猫の糞からのトキソプラズマ感染は減少している。猫を飼うのに問題はない。ただ、念のために、猫をキッチンや食卓に近付けないようにし、猫のトイレの砂は妊婦以外の者が毎日交換した方が良いだろう。
◇厚労省、診断用医薬品を承認
トキソプラズマの抗原と抗体の関係を鍵と鍵穴の関係に例える。出来たての鍵が鍵穴にはまることは少ない。IgGアビディティー検査で60%程度の抗体があることが判明すれば、感染時期は妊娠の4カ月以上前ということになる。
「出産までずっと抗菌薬を服用しなければならないのだろうか。赤ちゃんは定期的に検査をしなければならないのだろうか」
森岡教授はこんな疑問を抱いてきたという。不安を抱えた母親にとり大きな負担となるからだ。
アボットジャパン合同会社は日本大学、東京大、福島県立医科大学などとの共同研究に基づき、IgGアビディティーを検査する体外診断用医薬品を開発。24年10月、厚生労働省から製造・販売の承認を得た。日本医療研究開発機構(AMED)の成育疾患克服等総合研究事業の支援も受けている。
森岡教授は「妊婦に『安心を届ける』ことが私たちの使命だ」と力説する。(鈴木豊)
(2024/12/26 05:00)
【関連記事】