女性アスリート健康支援委員会 失敗から学んだ女子指導の鍵

心開かせた「再建請負人」
もっと出てほしい女性指導者―柳本晶一さん

  日本の団体球技の花形といえば、その一つに入るのが女子バレーボールだろう。1964年東京五輪で優勝して「東洋の魔女」と恐れられ、76年モントリオール五輪でも金メダル。しかし90年代から2000年代初頭にかけて世界のトップグループから脱落した。そんな苦しい時期に監督を引き受けた柳本晶一さんは、失敗から学んだことを生かして女子バレーを立て直した。

 「女子選手は男子と違って、意図したように動いてくれなかった」と東洋紡監督時代の失敗談を語る柳本晶一さん

 柳本さんは70年代の日本リーグで新日鉄のセッターとして活躍し、モントリオール五輪に出場。新日鉄では監督の立場でもチームを優勝に導いた実績を持つが、初めて女子チームを率いた東洋紡時代は予想外の苦労から始まっている。

 東洋紡の監督に就任した97年は、「優勝してもおかしくないメンバー」を抱えながら6位と低迷した。

 「どうすれば優勝できるか、ということは分かっていたので、そればかりを追求したんですね。ところが男子と同じように動かせると思っていたのに、女子は意図したように動いてくれなくて」

 不本意な結果でシーズンを終えた後、24人の選手を一人ずつ呼んでカウンセリングをした。柳本さんの話に耳を傾け、感動したように涙を流す選手を見て、「手応えを感じた」と言う。ところが1週間後、練習再開の日に体育館に来たのは4人だけ。なんと20人が辞めていた。カウンセリングで見たあの涙は何だったのか。激しいショックの中で「俺のやり方、間違っていたんやないか」と思った。

 ◇一人一人への声がけから

 それ以来、選手の一人一人をしっかり見て、何気ないことでも声を掛けることから始めた。

 全日本女子の選手らと話す柳本晶一監督(中央、当時)=2005年4月、東京都北区の国立スポーツ科学センター

 「選手が今までと違うTシャツを着てきたとか、髪を切ったときとか。似合ってるじゃん、と。男のチームでこんなこと言ったらおかしいけど、女性は違うんやな、と」

 男の場合、チームという組織の中でどんな役割が求められているかを論理的に説明すれば、「モチベーションを上げて頑張ってくれる」と言う。しかし女子選手の場合は、理屈や組織よりも、まず監督の「人」を見てから物事が始まるという印象を持った。指導者がコミュニケーションを取れる人物かどうかという部分への鋭い嗅覚を感じた。

 東洋紡で指揮を執って2年目の98年は危機的な部員不足で始まったが、入団内定選手を試合ごとに呼ぶなど、何とか頭数をそろえながら戦い続けた。柳本さんは積極的に話し掛け、聞くことを心掛けてチーム内に「役割分担」の意識を徹底。ロシア選手の活躍にも恵まれ、ついに創部39年目で初めてのリーグ優勝を飾った。

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