女性アスリート健康支援委員会
元全日本監督、柳本晶一さんのチーム管理術
1964年東京五輪で優勝するなど日本のお家芸といわれた女子バレーボール。90年代から苦戦が目立ち始め、2002年世界選手権で13位と惨敗したが、そんな苦難の時代に監督を任され再建に挑んだのが柳本晶一さんだった。若手を大胆に登用し、ベテランの選手心理を巧みに読みながらのチームづくりは高く評価された。女性スタッフの力も積極的に活用したアイデアマンに、チーム管理術などを聞いた。(3回連載)
柳本 晶一氏(やなぎもと・しょういち) 1951年、大阪市生まれ。大商大付属高を卒業し、70年代にバレーボール日本リーグの新日鉄でセッターとして活躍。76年モントリオール五輪4位。新日鉄やタイの男子ナショナルチーム、日新製鋼で監督を務めたほか、97年から指揮を執った女子の東洋紡でチームを初優勝に導く。
2003年にどん底の状態だった全日本女子の監督を引き受け、04年アテネ五輪と08年北京五輪でともに5位に食い込む。現在、一般社団法人アスリートネットワーク理事長。