こちら診察室 アルコール依存症の真実

この病気の本当の怖さ 最終回

 精神科病院への2度の入院で十分過ぎるほど自省し、「今度こそ酒をやめて、やり直そう」と心の底から思った男性だったが、退院のその日、そば店でビールをサラリと飲んでしまう。それがアルコール依存症という病気のたちの悪さだ。

銭湯に行く時にこっそり酒を買った

 ◇救いの手

 「母も、魚屋の親父さんと奥さんも心配してくれていました。だから、ビールは2本だけにしておきました」

 自宅には民生委員が待っていた。男性の顔を見るなり、「また病院に行くか!」と強い口調でとがめ立てた。

 「『大丈夫ですよー。もう飲みませんから』と、ヘラヘラとごまかしましたが、これからは、よほど慎重に飲まなければ駄目だなと思いました」

 次の日は保健師がやって来た。

 「断酒会という自助グループを紹介されました。義理で1回だけは出ましたけれど、帰りにウイスキーのポケット瓶を買って、こっそり飲みました」

 八百屋の商売を再開したかった。だが、運転資金がない。母親にはこれ以上金銭面で迷惑をかけたくない。救いの手が入った。

 「魚屋のおやじさんが酒を飲まないことを条件に保証人になり、『銀行からお金を借りられるようにしてやるよ』と言ってくれました。もちろん、『金輪際、酒は飲みません』と誓いました」

 ◇裏切り

 銀行からの融資が決まった。

 「『これで商売ができるな。一生懸命働けよ。さあ、みんなにもあいさつだ』と、魚屋の親父さんは商店街の寄り合いに連れて行ってくれました。その席で『こいつは酒をやめて真面目にやるから、応援してやってくれ』とお披露目をしました。みんなは酒で乾杯です。俺はジュースです。拍手を浴びました。『偉いね』『よく決心したな』『応援するよ』とみんなから声を掛けられ、『酒をやめよう』と真剣に思ってもみました」

 ところが、男性はみんなの期待を早々に裏切り、帰り道で酒を買い、家に帰って喉の渇きを癒したのだった。

 ◇監視の目をくぐり抜けて

 銀行からの融資を待つ間、ついに毎日のように酒を飲み始めた。問題は近所の商店街では監視の目が、家では母親の目が光っていることだった。

 「銭湯に行く時がチャンスでした。隣の商店街まで回り道をして、カップ酒を2本買います。それを銭湯の裏の植え込みに隠し、風呂から上がったら飲むわけです」

 体がだるくて隣の商店街まで行くのがおっくうだったある日、近所の酒屋の自動販売機で、びくびくしながら酒を買った(その頃は酒の自販機があった)。

 「ガチャンとカップ酒が落ちる音に、すごくびっくりしました」

 それを酒屋の娘が目撃していた。娘は父親に、父親は男性の母親と魚屋夫妻にその目撃情報を伝えた。

 ◇胸に突き刺さる言葉

 母親は「酒を飲んだのか」と問いただした。男性は「飲んでいない」とうそをついた。

 「母は『本当にお前を信じているから』と付け加えました。その言葉は苦しいほどに胸に突き刺さりました」

 魚屋の夫妻が家に来た。

 「『お兄ちゃん、飲んでないわよねえ』と奥さんが優しく言ってくれました。奥さんからは『お兄ちゃん』と呼ばれていました。その横で親父さんは『飲んだら、ぶっ殺してやるからな』と脅します。でも、おやじさんの目は笑っていました」

 自分が信じられていることがこたえた。

 「奥さんは甘い物が大好きです。その奥さんが『お兄ちゃんが退院してから甘い物を食べてないのよ。お兄ちゃんがお酒を飲まないから、私もね。お互いに頑張ろうね』と言います。他人なのに、ここまで肩入れしてくれるのかと涙が流れそうになりました」

 ◇励ましをよそに選んだ道

 周りの人の励ましをよそに、男性の酒は完全復活する。

 「あっという間に元に戻りました。ウイスキーをラッパ飲みしながら野菜の仕入れに出掛けました。帰ってからの商売も酔っ払っていてでたらめです。魚屋の夫婦は口をきいてくれなくなりました。母は泣いていることが多くなりました」

 痛飲し始めて1カ月たった頃、血圧が高くなり、下を向くと鼻血が出るようになった。内科を受診すると、肝臓もかなり弱っていると診断された。そのせいか、何をやってもすぐにくたびれる。

 「体だけじゃなく、気持ちもくたびれ果てました。仕事も人間関係もうまくいきません。生きているのが嫌になり、『死のう』と思いました。ポケットに100円玉をいっぱい入れて、線路を目指しました」

 100円玉は自販機で酒を買うためだ。

 「酒を飲みながら『今度電車が来たら飛び込もう』と何度も思いましたが、3時間しても踏ん切りが付きませんでした」

 ◇三たび病院へ

 男性は線路脇を後にした。

 「『俺は本当に駄目だなあ』と泣きながら、カップ酒をさらに3本飲みました」

 自宅では「また姿を消した」と大騒ぎになっていた。酔いつぶれた男性を発見したと警察から連絡が入った。

 もらい下げに行った母親と魚屋夫妻に、男性は駄々っ子のように「病院に入りたくない」とわめき立てたが、タクシーに乗せられ、精神科病院に入院させられた。

 目覚めるとベッドに縛られ、紙おむつを当てられていた。医師は、男性が大便も小便も垂れ流しで2日間意識不明だったことを告げた。

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