国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所
臨床プロテオミクスや単一細胞解析を支える新たな前処理技術
概要
質量分析 (MS) を用いたプロテオミクスは、細胞や組織中のタンパク質およびその翻訳後修飾を網羅的に計測できる技術であり、生命科学研究や医療分野で広く活用されています。その中でも、タンパク質をプロテアーゼで分解し、ペプチド断片にしてからMSで計測する「ボトムアッププロテオミクス」は、最も確立された手法として広く利用されています。この手法は単一細胞レベルの微量タンパク質の計測が可能である一方、核酸のように増幅できないタンパク質の特性上、サンプルのロスを最小限に抑えつつMSに導入する技術が重要です。
京都大学 大学院薬学研究科と医薬基盤・健康・栄養研究所の研究グループ(金尾 英佑 助教、石濱 泰 教授、田中 俊輔 博士課程学生、富岡 郁那 博士課程学生、小形 公亮 助教、谷川 哲也 研究員)は、京都府立大学 生命環境科学研究科の久保 拓也 教授との共同研究により、極微量のペプチド精製に適したピペットチップ型固相抽出注1)カラム「ChocoTip」を開発しました。ChocoTipには、熱可塑性の樹脂と疎水性の粒子をハイブリッドした新素材が充填されており、メソ孔注2)を持たない独自の表面によってペプチドの不可逆的な吸着を抑制してサンプルロスを大幅に低減し、従来技術を上回る高性能計測を実現しました。
今回の実験では、HeLa細胞ライセート由来のトリプシン消化ペプチド20 ng(約80細胞相当)を用いてChocoTipの性能を評価しました。その結果、従来のStageTipを使用した場合と比較して、ペプチドの感度および同定数が2倍以上に向上しました。ChocoTipは、臨床プロテオミクスや単一細胞解析注3)といった、極微量サンプルの高感度計測が求められる分野で、幅広い応用が期待されます。
本研究成果は、2024年12月16日に米国の国際学術誌「Analytical Chemistry」にオンライン掲載されました。
ChocoTipの電子顕微鏡画像と従来法との性能比較. ペプチドの不可逆的吸着を引き起こす疎水性粒子表面のメソ孔が、熱可塑性樹脂によって塞がれている
1.背景
質量分析 (MS) を用いたプロテオミクスは、細胞や組織中のタンパク質およびその翻訳後修飾を網羅的に計測できる技術であり、生命現象の解明や疾患研究において重要な役割を果たしています。特に、タンパク質をプロテアーゼで消化して短いペプチドに分解し、MSによって同定・定量する「ボトムアッププロテオミクス」は、最も確立された手法として広く利用されています。近年、MSの進歩により、単一細胞レベルの微量タンパク質の計測も可能となるなど、ボトムアッププロテオミクスの感度は飛躍的に向上しています。しかし、タンパク質は核酸のように増幅ができないため、計測の過程でサンプルをいかにロスなくMSに導入するかが課題となっています。
2.研究手法・成果
質量分析の前処理段階では、試薬や緩衝液に含まれる塩や不純物が質量分析計の感度を低下させるため、脱塩の操作が不可欠です。脱塩には、ピペットチップ内に疎水性粒子を充填したマイクロ固相抽出カラム(STop and Go Extraction Tip; StageTip)が一般的に使用されています。しかし、従来のStageTipではペプチドがカラム内で不可逆的に吸着し、一部のサンプルがロスする課題が指摘されてきました。
この課題を解決するため、極微量のペプチド精製に適した新しいStageTip「CHrOmatographic particles COated by a Thermoplastic polymer Immobilized in Pipette Tip (ChocoTip)」を開発しました。ChocoTipは、熱可塑性の樹脂と疎水性の粒子をハイブリッドした新素材を使用しており、カラム内でのペプチドの吸着を抑制することで、サンプルロスを大幅に低減させます。実験では、HeLa細胞ライセート由来のトリプシン消化ペプチド20 ng(約80細胞相当)を用いてChocoTipの性能を評価しました。その結果、従来のStageTipを使用した場合と比較して、ペプチドの感度および同定数が2倍以上に向上しました(図1A)。さらに、このようなChocoTipの特性は、充填剤の独自の表面構造に起因していることを、走査電子顕微鏡による形態観察と水銀圧入法による細孔分布測定によって明らかにしました(図1B)。ChocoTipの充填剤では、熱可塑性の樹脂が疎水性粒子のメソ孔を覆うことで、ペプチドが粒子のメソ孔に不可逆的に吸着することを防ぎ、サンプルロスを大幅に低減させています。
3.波及効果、今後の予定
ChocoTipは、限られたサンプル量での計測が求められる臨床プロテオミクスや単一細胞解析において、重要な基盤技術となることが期待されています。この技術を他の高感度・高速計測技術と組み合わせ、血清や尿などの臨床検体を用いたバイオマーカー探索注4)や個別化医療の推進に貢献したいと考えています。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、日本医療研究開発機構(AMED)革新的先端研究開発支援事業PRIME(課題番号: 24gm7010003h0001)、科学技術振興機構 (JST)戦略的創造研究推進事業CREST(課題番号: 18070870)、日本学術振興会科学研究費補助金(課題番号:23K13774、21K14652、20K20567、23H04924、23K18185、21H02459)、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)官民による若手研究者発掘支援事業(課題番号: seeds-4891)、京都大学 産学連携本部 起業支援プログラムIPG-Advanceの助成を受けて行われました。
<用語解説>
注1 固相抽出:疎水性クロマトグラフィーやイオン交換を利用し、目的分子を吸着しながら塩や低分子化合物を洗い流す方法。
注2 メソ孔:疎水性粒子の表面に存在する直径が2~50ナノメートルの微細な孔。従来の固相抽出カラムでは、この孔にペプチドが吸着し、回収率が低下する原因となっていた。
注3 単一細胞解析:1つの細胞ごとにタンパク質や遺伝子を高感度で解析する技術。これにより、細胞間の微細な違いや個々の細胞の特性を明らかにし、異質性や特殊な細胞の役割を解明することができる。
注4 バイオマーカー:疾患の診断や治療効果の評価に利用される指標となる分子。血液や組織中の特定のタンパク質がバイオマーカーとして用いられることがある。
<研究者のコメント>
「ChocoTipの名前は、チョコチップケーキに似た素材の形状に由来するもので、親しみやすさと利便性を兼ね備えた技術として普及してほしいという思いが込められています。今後は、臨床プロテオミクスや単一細胞解析といった極微量サンプル解析への応用をさらに広げるとともに、誰もが容易に利用できる技術として、産学連携による製品化にも取り組みたいと考えています。」(金尾英佑)
<論文タイトルと著者>
タイトル: High-Recovery Desalting Tip Columns for a Wide Variety of Peptides in Mass Spectrometry-based Proteomics
(質量分析によるプロテオミクスのための多様なペプチドに対応した高回収率脱塩チップカラム)
著 者: 金尾 英佑†‡、田中 俊輔†、富岡 郁那、小形 公亮、谷川 哲也、久保 拓也、石濱 泰‡
(†共同筆頭著者 ‡責任著者)
掲 載 誌: Analytical Chemistry DOI:10.1021/acs.analchem.4c0375
<参考図表>
図1 ChocoTipと従来のStageTipとの感度比較. (A)20 ngのトリプシン消化ペプチドを用いた脱塩後のペプチド総インテンシティーの比較.ChocoTipは、従来のStageTipに比べて2.45倍の感度を実現した.(B)ChocoTipの表面特性.熱可塑性樹脂がμmサイズの流路を形成し、疎水性粒子表面のメソ孔を封じることで、カラム内でのペプチドの不可逆的吸着を防ぐ
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(2024/12/18 10:00)
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