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脳が「止める」を実現する経路の全容を解明

学校法人 順天堂
― 視覚から行動制御までの脳内プロセスを発見 ―




 順天堂大学大学院医学研究科神経生理学の長田貴宏准教授と小西清貴教授、順天堂大学大学院医学研究科放射線医学、東京大学大学院医学系研究科整形外科学による研究グループは、最新の脳機能イメージング技術と脳刺激法を用いて、私たちの脳が不適切な行動をどのように止めるのか、その仕組みを解明しました。日常生活において、人間は急な状況の変化に対応して行動を止める能力が求められます。この「反応抑制」には、視覚情報の認識から行動の制御に至るまで、脳の複雑な処理が関わっています。しかし、その具体的なメカニズムはこれまで十分に解明されていませんでした。本研究では、視覚情報が脳内でどのように処理され、行動の抑制につながるかを明らかにしました。その結果、視覚野から始まり、島皮質前部を経由して、下前頭皮質に伝達され、最終的に大脳基底核や運動野に至る経路が特定されました。本研究の成果により、脳の情報処理の全体像が明らかになり、将来的には認知機能の障害の予防や治療法の開発、リハビリテーションへの応用、さらには人工知能の開発に寄与する可能性があります。本論文はNature Communications誌に2024年12月3日に発表されました。
本研究成果のポイント
- 脳機能イメージングと脳刺激法を用いて、反応抑制に関わる脳内の情報伝達経路を解明
- 視覚野から島皮質前部、下前頭皮質、大脳基底核・運動野へとつながる経路を特定し、各経路間の因果関係を解明
- 情報処理経路の解明により、行動抑制に関連する新しい治療法への応用に期待

背景
 私たちの日常生活では、突然の出来事や予期せぬ状況に直面した際、瞬時に行動を止める能力が必要とされます。例えば、近づいてくる車に気づいて立ち止まることや、危険を察知して手を引っ込めることなどが挙げられます。このように、不適切な行動を抑える能力である「反応抑制」は、適切な判断と行動を行うために不可欠です。反応抑制は、視覚情報などの感覚情報の認識から始まり、それに基づいて行動を制御するという脳の複雑なプロセスによって実現されています。この過程では、脳の複数の領域が協力し合い、これまでの研究(注)により、前頭葉などが関わっていることが示されています。しかし、情報が脳内でどのような経路を通り、各領域がどのような役割を果たしているのかについては、十分に理解されていませんでした。特に、視覚情報がどのように行動の抑制に結びつくのか、その具体的な経路や各脳領域の役割については解明されていませんでした。この問題を解決するために、本研究では、脳機能イメージングと非侵襲的な脳刺激技術を用いて脳の活動を詳細に観察し、情報がどのように伝達され、行動の抑制に至るのかを解明することを目指しました。
内容
 本研究では、健常被験者に対して反応抑制機能を調べる「ストップシグナル課題」 (図1A)というテストを実施し、その際の脳活動を機能的磁気共鳴画像法(fMRI)(*1)で計測しました。この課題では、画面に左右どちらかを指す矢印が表示され、それに対応するボタンをできるだけ早く押すよう指示されます。しかし、時折、矢印の後に突然「ストップ」サインが表示され、その場合は素早くボタンを押すのを止めなければなりません。これは、突然の状況変化に対応する能力を評価する課題です。
 fMRI解析により、反応抑制時に活性化する脳領域を特定し、拡散強調MRIを用いて脳領域間のつながりを調べました。その結果、まず視覚情報は一次視覚野で処理され、その後、島皮質前部に情報が伝達されることが明らかになりました(図1B)。島皮質前部は、感覚情報の統合に関与していると考えられます。次に、この情報は下前頭皮質の後部および前部に情報が伝達されることが確認されました。最終的に、この情報は大脳基底核や一次運動野に伝達され、行動の抑制を実現します。
 さらに、脳領域間の因果関係を明らかにするため、超音波を用いた経頭蓋超音波刺激(TUS)(*2)と経頭蓋磁気刺激(TMS)(*3)を組み合わせた刺激手法を使用しました。具体的には、脳深部に位置する島皮質前部をTUSで一時的に機能低下させた状態で、下前頭皮質にTMSを適用し、その影響を調べました。その結果、島皮質前部を機能低下させる前には、下前頭皮質へのTMSの効果が確認されましたが、島皮質前部を機能低下させた後は、TMSの効果が見られなくなりました(図2A)。これは、島皮質前部が下前頭皮質の機能に直接的に影響を与えていることを示唆しています。
 また、下前頭皮質の後部と前部の関係性についても調べました。下前頭皮質の後部をTUSで抑制すると、前部へのTMS介入の効果は見られなくなりました。一方、下前頭皮質の前部をTUSで抑制しても、後部へのTMS介入の効果はTUS抑制前と同様に確認されました(図2B)。このことから、情報が下前頭皮質の後部から前部への一方向に流れることが示唆されました。
以上の結果から、視覚情報の認識から行動の停止まで、一次視覚野-島皮質前部-下前頭皮質-大脳基底核・一次運動野に至る4段階の情報経路が明らかになりました(図3)。この経路の解明により、反応抑制のメカニズムの理解が一層深まりました。
今後の展開
 今回の研究では、脳機能イメージングと非侵襲的脳刺激を組み合わせることで、反応抑制における視覚情報から行動の抑制に至る経路を特定し、脳の情報処理の全体像を明らかにしました。この研究成果は、注意欠陥・多動性障害(ADHD)や衝動性障害など、行動抑制に困難を抱える方々に対して、神経回路メカニズムに基づく新しい治療法の開発につながる可能性があります。また、特定の脳領域を標的とした脳刺激法やリハビリテーションプログラムの開発も期待されます。さらに、脳の情報伝達経路の理解が深まることで、人工知能(AI)分野への応用も考えられます。人間の脳の情報処理メカニズムをモデル化することで、より高度なAIの開発に寄与する可能性があります。今回の研究手法は、人間の様々な認知機能にも応用できると考えられており、認知機能における情報処理回路の解明が飛躍的に進むことが期待されます。

図1:ストップシグナル課題と拡散強調MRIによる解剖学的結合性

(A) 被験者は、画面に表示された左向きまたは右向きの矢印と同じ方向のボタンをできるだけ早く押すよう指示されます(ゴー試行)。また、一定の割合で、左右の矢印が表示された直後に上向きの矢印に変わる場合があります(ストップ試行)。その際、被験者はボタンを押さないよう求められます。ボタンを押さずに止まれる場合と、止まれず押してしまう場合がありますが、この課題では成功率が約50%になるよう、上向き矢印に変わるタイミングが被験者の成績に応じて調整されます。(B) 拡散強調MRIにより、一次視覚野と島皮質前部の解剖学的結合性が確認され、反応抑制の過程で一次視覚野から島皮質前部に情報が伝達されることが明らかになりました。

図2:超音波刺激TUSと磁気刺激TMSを組み合わせた手法による脳領域間の因果関係

(A) 脳深部に位置する島皮質前部を超音波刺激で持続的に機能低下させた状態で、下前頭皮質に磁気刺激TMSを適用し、ストップシグナル課題への影響を調べました。島皮質前部を機能低下させる前には、下前頭皮質へのTMS介入により反応抑制効率の低下が見られましたが、島皮質前部を機能低下させた後は、TMS介入による反応抑制効率の変化は見られませんでした。この結果から、島皮質前部が下前頭皮質の機能に直接的に影響を与えていることが示唆されます。(B) 下前頭皮質の後部を超音波刺激により抑制すると、前部へのTMS介入による反応抑制効率の変化は見られなくなりました。一方、下前頭皮質の前部を超音波刺激で抑制しても、後部へのTMS介入の効果は超音波刺激での抑制前と同様に確認されました。この結果は、情報が下前頭皮質の後部から前部への一方向に流れることを示唆しています。

図3:本研究により明らかになった反応抑制における情報処理の経路

視覚情報の認識から行動の停止まで、一次視覚野-島皮質前部-下前頭皮質(後部・前部)-大脳基底核・一次運動野に至る情報経路が明らかになりました。
用語解説
*1 機能的磁気共鳴画像法(fMRI): MRI(磁気共鳴画像装置)を使って、脳活動に伴う血流反応を計測することにより、脳のどの部位が活動しているかを非侵襲的に調べる方法。fMRIの基礎となっているBOLD法(Blood Oxygenation Level Dependent法)は、小川誠二博士(現・大阪大学特別栄誉教授、東北福祉大学特別栄誉教授)によって発見されたもので、世界で広く用いられています。
*2 経頭蓋超音波刺激(TUS): 頭部にあてた素子(トランスデューサー)から超音波のパルスビームを出力し集束させ、頭蓋骨を通して空間的に限局した範囲の脳組織を刺激することで、特定の脳領域の活動を非侵襲的かつ可逆的に変化させられる介入方法。脳深部を非侵襲的に刺激できる手法として、近年注目されています。
*3 経頭蓋磁気刺激(TMS): 頭部にあてたコイルに瞬間的に電流を流すことで磁場が形成され、それに伴い組織内で生じる誘導電流により、非侵襲的に大脳皮質を刺激し、脳の特定部位の神経活動を一時的に変化させる刺激法。本研究においては瞬時的に脳領域の活動を抑制する単発刺激法が用いられました。

(注)
・Osada et al., 2019, Journal of Neuroscience 39, 2509-2521.(順天堂プレスリリース「自分を律する脳の仕組みに関わる新たな部位を発見 ~頭頂葉が行動の抑制を生み出す~」[2019年4月11日発表] https://www.juntendo.ac.jp/news/02828.html参照)
・Osada et al., 2021, Cell Reports 36, 109732.(順天堂プレスリリース「不適切な行動の抑制に関わる脳の情報処理の回路を発見 ~前頭葉からの2つの独立した神経回路が不適切な行動を抑える~」[2021年9月22日発表] https://www.juntendo.ac.jp/news/00126.html参照)
・Nakajima et al., 2022, Cell Reports 40, 111197.(順天堂プレスリリース「行動の抑制を生み出す新たな神経回路の発見 ~ 超音波刺激での脳深部刺激により全脳レベルの情報処理回路の解明へ ~」[2022年8月17日発表] https://www.juntendo.ac.jp/news/00630.html参照)

研究者のコメント
今回の研究では、脳機能イメージングと非侵襲的な脳刺激技術を組み合わせることで、反応抑制を実現する経路を全脳レベルで明らかにすることができました。特に、超音波刺激法は脳深部に対しても非侵襲的かつ可逆的に介入できる手法として注目を浴びており、このような先進的な技術を用いることで、今回の成果を得ることができました。ひとつひとつの発見を積み重ねることで脳の回路を解明し、さまざまな認知機能がどのように生み出されるのか、また機能が損なわれた際の治療法開発につなげていきたいと考えています。今後も、全脳レベルでの神経回路の全容解明に向けた研究を進めていきたいと思います。(長田貴宏)

原著論文
本研究はNature Communications誌のオンライン版に2024年12月3日付で公開されました。
タイトル: Multiple insular-prefrontal pathways underlie perception to execution during response inhibition in humans.
タイトル(日本語訳): 反応抑制における知覚から実行までを支える複数の島皮質-前頭前野経路
著者:Takahiro Osada(筆頭著者、責任著者), Koji Nakajima, Tomohiko Shirokoshi, Akitoshi Ogawa, Satoshi Oka, Koji Kamagata, Shigeki Aoki, Yasushi Oshima, Sakae Tanaka, Seiki Konishi(共同責任著者)
著者(日本語表記): 長田貴宏1)、中嶋香児1) 2)、城越智彦1) 2)、小川昭利1)、岡哲史1)、鎌形康司3)、青木茂樹3)、大島寧2)、田中栄2)、小西清貴1)
著者所属: 1)順天堂大学大学院医学研究科神経生理学、2)東京大学大学院医学系研究科整形外科学、3)順天堂大学大学院医学研究科放射線医学
DOI: 10.1038/s41467-024-54564-9

本研究は、JSPS科研費21K07255、23K27474、ブレインサイエンス振興財団、武田科学振興財団による支援を受けて行われました。また、本研究に協力頂きました被験者様のご厚意に深謝いたします。
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