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父の書斎 第53回

 半年前まで、その書斎には、あるじがいた。高校の教員を定年退職してから二十数年、あるじは1日の多くの時間を書斎で過ごし、郷土の歴史を書いていた。

父親愛用の万年筆のインクは乾いていた

父親愛用の万年筆のインクは乾いていた

 ◇あるじは父親

 53歳になる女性は、久しぶりにその書斎に入り、大きな椅子にちょこんと腰掛けた。

 ここのあるじは、女性の父親だ。

 80歳を過ぎた頃から、物忘れが目立つようになり、書斎で過ごす時間は少しずつ短くなっていった。やがて、認知症と診断されるほどに物忘れが進んだが、それでも毎日数時間はここにいた。

 ◇書斎の風景

 大きなデスク、肘掛け付きの椅子、天井まである本棚が何本もそそり立っている。それでも本棚に入りきらない本や資料が床に横積みされている。

 タイプライター、往年のワープロ、旧式のパソコン、大きなレンズが付いたフィルムカメラ、インスタントカメラもある。

 木製フレームのテニスラケット、ボウリングのボールとシューズが入ったバッグ、完成した帆船模型、作りかけの帆船模型。

 デスクの上には、愛用の万年筆とボールペン、鉛筆、インクつぼと鉛筆削り、何種類かの辞書、原稿用紙、拡大鏡、フォトフレームには家族の写真。

 ◇家族

 写真には、父親、母親、兄、そして自分が写っている。新緑の信州に家族で出掛けたずいぶん昔の写真。みんな若かった。

 優しい笑顔の母親は、さっきまで隣の部屋で猫をなでていた。すまし顔の兄は、海外に移り住んだ。何がうれしいかったのか、笑い転げた顔の自分は、子育てがやっと一段落し、そろそろピアノの調教師の仕事を再開しようと考えている。そして、むっつり顔の父親は今、老人ホームにいる。

 ◇ミッドナイトブルー

 部屋には、父親の生きた証しがぎっしりと詰まっている。

 父親のお気に入りの万年筆は、モンブランの149だ。女性は、太い軸の万年筆を手に取り、キャップをくるくると回した。うっすらとかぶさったほこりを払いのけ、原稿用紙にペン先を当ててみた。インクは出なかった。最後に使ったのは、いつなのだろう。

 インクつぼの硬くなったふたを思い切りの力でねじ開け、ペン先をインクで塗らし、原稿用紙に万年筆を走らせた。ミッドナイトブルーの太い線が引かれた。

 何かを書こうかと思ったが、言葉は浮かばず、代わりに涙が湧いてきた。

 なぜ、父親が愛した書斎を離れなければならなかったのか。

 「あの時、私たちには、それしかできなかった」

 原稿用紙に落ちた涙の粒に、ミッドナイトブルーの線がにじんだ。

 ◇思い出したくない日々

 父親が老人ホームに入居するまでの2年間は、思い出したくない日々だった。

 興奮、怒り、妄想、悪態、暴力、独り歩き。パトカーの世話になったことが何度もあった。いずれも、認知症の周辺症状だとされるものだった。その症状は介護者を疲弊させる。

 年老いた母親の介護力には限りがあった。兄は日本にいない。市内に住む女性が3日と空けず、実家に泊まり込むしかなかった。

 今思えば、周囲が適切な対応をすれば、認知症の周辺症状は、それほどひどくはならなかったのかもしれない。

 ◇チャレンジング行動

 認知症の周辺症状は、BPSD(認知症の行動・心理症状)と呼ばれているが、認知症の人の行動は、本人だけではなく、周囲の対応にも原因があるという見方が強くなり、「チャレンジング行動」と呼ぶ専門家も増えてきた。

 だが、当時の女性と母親には、認知症の人に対する接し方の知識が乏しく、父親の行動になすすべがなかったのだ。

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