女性アスリート健康支援委員会 女子選手のヘルスケアを考える

過酷な体重管理、引退後も尾を引く摂食障害
「人生を長い目で見て指導を」と訴え―原裕美子さん

 「子どもたちの人生を長い目で見た指導を常に心掛けてほしい」

 名古屋と大阪の国際女子マラソンで優勝し、世界選手権のマラソン日本代表として6位入賞を果たすなど、トップランナーとして活躍した原裕美子さん。だが、現役時代、過酷な体重管理が引き金とみられる摂食障害に陥っていた。今年1月に38歳になったが、引退から長い時間がたつ今も、影響が尾を引く。

 原裕美子さん。総合討論に招かれ登壇した

 女性アスリート健康支援委員会(川原貴会長)が2月1日に開いた集会「Female Athlete Confence 2020~女子選手のヘルスケアを考える~」で、原さんは総合討論のゲストに招かれ、質問に答える形で体験を話した。発言を整理し、指導者らへのメッセージとして詳しく紹介したい。

 ◇摂食障害という言葉も知らなかった

 ―現役時代、女性アスリートの健康問題を示す「三主徴」(「体の利用可能エネルギー不足」と、それが招く「無月経」「骨粗しょう症」のこと)についてご存じでしたか。

 皆さんの前で、摂食障害について話すようになったのは数カ月前。そこで初めて三主徴という言葉を聞きました。

 私は2001年(高校卒業後、実業団チームに入って2年目)に過食嘔吐(おうと)が始まりましたが、(チームを移籍する)10年までは、それが摂食障害という病気だとも知りませんでした。「何で吐いてしまうかな」「何で食べ物を我慢できないかな」と自分を責め続けるだけでしたね。

 ―現役時代の月経の状況と骨密度は。

 中学では月経もあったし、体重管理も受けていません。3年生で東日本女子駅伝で区間賞を取った時は163センチ、48キロくらい。肉付きが良く、大した練習をやらなくても、若さの勢いがありました。高校に入ってすぐに親元を離れて(陸上の)夢をかなえるため下宿し、体重管理が始まりました。その4月から生理(月経)が止まりました。

 実業団に入って本当に厳しい体重管理を受けました。月経は(引退翌年の)15年まで約17年間止まったまま。疲労骨折は右足中骨を5本中4本、治っては骨折、治っては骨折と繰り返し、09年には恥骨を4カ所続けてやりましたが、当時は無月経と疲労骨折の関連(月経が来ないと、骨を丈夫にする女性ホルモンの分泌が抑制される)も知りませんでした。

 ◇痩せ過ぎと言われても異常だと思わず

 ―体重管理はどのような状況でしたか。

 高校の時は走ることが大好きで、先生からも「食べて走って痩せればいい」という指導を受けていました。実業団では「朝練習の前から午後の本練習までに増やしていいのは何グラム」などと言われ、3日以上続いて反すると、本当に1~2時間怒られたりしました。

 東大医学部付属病院・女性アスリート外来の能瀬さやか医師(左)から質問を受ける原裕美子さん

 走る夢をかなえたくて社会人に進んだのに、痩せるため、汗をかくために走っているようで、夏でもスエットスーツを着て脱水で倒れたこともあり、冬は十二単(ひとえ)みたいに着られるだけ着込んでいる状態でした。スタッフの前で1日4~6回体重計に乗り、自分でも「今食べて何グラム増えたか」「お風呂で何グラム減ったか」などと何十回乗っていたか分かりません。

 ―摂食障害のきっかけは体重管理、減量だと思っていますか。

 それが大きいと思っています。実業団の同期で1人だけ私が吐いているのを知っていて、「裕美子、やめないと死んじゃうよ」と言われたことがあったけれど、当時は練習ができていました。

 吐き始めて1年くらいでけがもほとんどなく走れていた頃、身長163センチで体重が41キロを下回っていました。腕が細過ぎて、中学の恩師に「痩せ過ぎだろ。食べているか」と言われましたが「大丈夫です」と答えるだけで、異常とは思いませんでした。

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