女性アスリート健康支援委員会 女子マラソンの夜明けを駆け抜けて

ラストランで分かった疲労骨折
「新たな人生」の原点に―増田明美さん

 ロサンゼルス五輪の挫折から立ち直り、長距離ランナーとして走り続けた増田明美さんのラストランは、28歳で迎えた1992年1月の大阪国際女子マラソンだ。ロスからの8年間で人間的にも成長し、支えてくれた多くの人たちへの感謝の思いを込めて、完走する決意だった。ところが、右足首が痛くなってしまい、無念の途中棄権。原因は疲労骨折だった。

 「疲労骨折という名前は初めて聞きました」とラストランの経験を語る増田明美さん

 大阪国際女子マラソンは、増田さんにとって因縁の大会だ。ロス五輪へ「期待の星」だった19歳の時、栄養失調で倒れたのも大阪。見事に五輪代表の切符をつかんだ20歳のレースも大阪だった。

 米国留学から帰国後、NEC本社に所属し、ロスから4年ぶりのマラソンに挑んだ舞台でもある。「ロスのけじめをつけるため、ビリでもいいからゴールしよう」と決意してレースに臨み、「おまえの時代は終わった!」という沿道からの厳しいやじに、心が折れそうになりながらも市民ランナーに励まされ、2時間52分53秒という自己ワースト記録で完走したことも、忘れられない思い出だ。

 山あり谷ありのマラソン人生。限界を感じ、引退の舞台にも大阪を選んだ増田さんは「最後は悔いなく終わりたい」と練習を重ね、当日を迎えたが、ウオーミング中、右足首に痛みが走った。「意識し過ぎだと言われ、大丈夫かなと思ってスタートを切ったんですが、やはり痛くなってしまって」。次々と追い抜かれ、15キロ地点でレースの制限時間を超えてしまい、ゴールの長居陸上競技場にはたどり着けずに終わった。「お世話になった人のためにも、ゴールまで行こうと思っていたので、本当に悔しかったですね」

 ◇「もろさ65歳並み」の大見出し

 ランナーとして復活を遂げた増田明美さんは89年の東京国際女子マラソンでは、日本人最高の2時間37分34秒で8位に入った

 翌日、病院でレントゲンを撮ると、画像には疲労骨折の線がはっきりと映っていた。「今でこそ、疲労骨折という言葉は普通に使われていますが、私はこの時、初めて聞きました」。日を改め、磁気共鳴画像装置(MRI)を使って詳しい検査を受けた結果、脚全体でひざや股関節など合計7カ所に疲労骨折が見つかった。

 「増田明美さん、骨のもろさ65歳並み」。こんな大見出しで、増田さんの骨の強度の低下と疲労骨折を新聞が報じたのは、引退レースから4カ月ほどたってからだ。激しい練習に警鐘を鳴らす記事で、「粉骨練習」という笑えない見出しも躍っていた。

 骨の形成に大切な十代の時期に、無月経という体の「SOS」のサインを結果的に放置したつけが回ってきたことを、増田さんはこのラストランの時に学んだ。「今から思えば、月経が止まった高校時代、練習量に見合う十分な栄養を取らなかったのはまずかった。産婦人科医の診察を受ける必要もありました。そうすれば月経が戻って、骨の成長を助ける女性ホルモンのエストロゲンもきちんと分泌されていたかもしれませんね」

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