女性アスリート健康支援委員会
増田明美さんが伝える挫折と成長の経験
女子マラソン草創期の1980年代、増田明美さんは高校生ランナーとして、すい星のように登場した。この競技が初めてオリンピックの正式種目になった84年ロサンゼルス五輪の日本代表に選ばれ、20歳で出場したものの、途中棄権。心身の不調から復活して競技を続け、28歳で引退したが、そのラストランを疲労骨折で棄権する無念も味わった。大きな喜びの先に待っていた挫折の体験をばねに、今はスポーツジャーナリストの仕事を中心に幅広く活躍する増田さんに、競技人生と健康の問題を聞いた。(3回連載)
増田 明美さん(ますだ・あけみ)1964年千葉県生まれ。成田高校3年生の時、トラックの3000メートル、5000メートル、1万メートルやロードの長距離種目で次々と日本記録を塗り替え、初マラソンでも日本最高記録を樹立。川崎製鉄千葉入社後の83年、2時間30分30秒まで記録を伸ばした。84年のロス五輪の女子マラソンに、佐々木七恵選手と共に、日本代表として出場。NECに所属していた92年、大阪国際女子マラソンを最後に現役を終えた。引退するまでの13年間に日本最高を12回、世界最高を2回更新した。
スポーツジャーナリストに転身し、執筆活動やマラソン中継の解説に携わるほか、テレビ番組などのナレーションなどでも活躍。日本パラ陸上競技連盟会長。大阪芸術大学教授。