認知症 認知症の人への視線を考える

ダメージ与える「質問」 (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第5回】

 孫を連れて子どもがやって来た。認知症の本人は、孫の名前がどうしても思い出せない。それは、そうだ。もの忘れは認知症の代表的な症状(中核症状)なのだから。「まずいな」と本人は焦る。そこに、家族の声が響く。

 「何ちゃんだっけ?」

 その質問が本人にとって、どれほど冷酷であることか。例えるなら、日焼けでヒリヒリした皮膚に塩を擦り込むような、あるいは骨折をして、うずく足をぐりぐりと踏みつけるような行為と同程度に残酷なのだ。

ある認知症の女性は、ゆで卵の皮をむきながら、昔の思い出をリアルに語ってくれた(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

 ◇問い詰める家族

 家族が質問するのは「認知症であるはずがない」「認知症になってほしくない」といった思いがあるからだ。孫の名前を覚えていることは、認知症でないことの証しとなる。孫の名前だけではない。

 「きょうは何日、何曜日?」

 「きのうはどこに行ったの?」

 「けさは何を食べたの?」

 こんな質問を繰り出す。

 認知症の代表的な中核症状(認知機能が低下することによって起こる直接的な障害)には、記憶障害のほかに、見当識障害がある。見当識とは時間、場所、季節、周囲の状況などを正しく認識することだ。認知症になると、多くの人が見当識に障害を起こす。

 ◇家族の思い

  中核症状は確実に起こるものであるのだが、家族はそれが許せない。認知症かもしれないと思った場合でも、これ以上症状が進んでほしくない、前よりは良くなっていてほしいという気持ちから、ついつい尋ねてしまう。

 思い出させることや見当識を取り戻すことが、認知症の進行を遅らせる効果があると思っている家族もいるだろう。だから、あたかも栄養剤でも与えるように質問を浴びせる。

 しかし、記憶や見当識に関する質問には容易に答えられないのが認知症であり、問題なのは、本人に多大なダメージを与えてしまう点だ。

 自分自身に起こった異変は、他者に指摘されるまでもなく、本人自身が一番よく知っている。それに追い打ちをかけるように質問が飛んでくるわけだ。

 正しい答えが出るまで質問を続ける家族もいれば、正しく答えても、間違えるまで別の質問を続ける家族もいる。家族が安心するために…。

 ◇高齢者虐待ともなる

 質問攻めの結果、何が起こるのか。例えば、答えられないことで自信をなくしてしまう人もいるだろう。自信は、生きることへの意欲にもつながるから深刻だ。「死んでしまったほうがいい」と口にする認知症の人はけっこういる。認知症における「抑うつ」は、周囲の人との関わりで生じるBPSD(認知症の行動・心理症状)に分類されるが、質問する側は、自分たちの質問が認知症の人の生きる意欲を奪っていると自覚することは少ない。

 答えられない失望感が自分に対する怒りとなる人もいるだろうし、怒りが他者へ向かう場合もあるだろう。他者に向かえば、またしてもBPSDに分類される暴言・暴力と見なされ、向精神薬で行動を沈静化させられることすらある。

 これは、介護保険の指定基準で禁止の対象になっている身体拘束の具体的な行為の一つ「行動を落ち着かせるために、向精神薬を過剰に服用させる」に当たる。

 すなわち、認知症の人が答えづらい「質問」は、生きる意欲を奪ったり、興奮状態に追いやったりするわけで「高齢者虐待」とも言える重大な人権侵害なのである。

 ◇専門職も苦しめる

 認知症の人を苦しめるのは、家族だけではない。筆者は、ホームヘルパーの仕事に同行したことがある。訪問先は、一人暮らしの高齢者宅だ。訪問のあいさつをするとすかさず「きょうは何曜日でしたっけ?」とか、「けさは何時に起きましたか?」などと質問を始めた。

 一見、何気なく聞いている感じもするのだが、素人目線でも「見え見え」である。利用者は認知症があると思われ、案の定、答えられないことが多い。次第に、表情は険しくなり、怒りの表情さえ浮かんでいる。でも、ヘルパーは気づかない。

 「リアリティー・オリエンテーション」という療法がある。「現実見当識訓練」と呼ばれるものだ。1950年代から60年代にかけて米国で始まったリハビリテーションの一つで、日付や季節などのリアルな見当識を分かりやすく、繰り返し教えていく。

 ただ「きょうが何月何日だと分かったところで、どんな意味があるというのか!」などという反発もある。相手の気持ちに配慮せずに行うとBPSDを引き起こす恐れすらある。ざっくり言うと「取扱い注意」の療法であり、上述のヘルパーの質問攻めは、害を及ぼす素人療法に該当するだろう。

 しかし、介護サービスの現場では、認知症の人の記憶や見当識を取り戻させようと、「きのうは、ご家族とどちらへ行きましたか?」などの質問が認知症の人に気安く投げかけられている。

森に立つマリア像。ある認知症の女性は、この像を拝むのが日課だ。長崎にて(本文とは関係ありません)=坂井公秋撮影

 認知症テストで落ち込む

 認知症の治療では、質問形式の評価テストが行われる。「改訂長谷川式簡易知能評価スケール」や「MMSE(ミニメンタルステート検査)」などが代表である。

 長谷川式のテストには、時計、鍵やペン、硬貨、はさみなどの五つの品物を見せ、覚えてもらった後でそれを隠し、品物の名前を言うという設問がある。時間を置かずに答えてもらう仕組みだが、認知症の人は簡単には答えられない。

 このテストは健常者には比較的簡単であるため、できなかったときには、大いにショックを感じる。長谷川式テストを受けたある認知症の男性は「なぜあんな簡単な問題に失敗したのか!」と大いに落ち込んだという。

 認知症の人は、自分がどうなってしまうのかという不安とともに、周囲の人の何気ない言葉や行いにも苦悩を募らせている。

 次回は、認知症の人との関係には、どのような配慮が必要なのかを考えていく。その配慮があれば、本人たちは、がぜん生きやすくなるだろう。(了)

 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。


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