「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

能登半島地震の検案活動はこうして始まった
~法医学者らの初動―現地派遣調整~ 【第5回(上)】

 元日の午後4時10分に発生した能登半島地震。最大震度7の揺れが、自宅に顔をそろえ正月を祝う家族や親戚らを襲い、200人を超える住民が犠牲となった。その多くが倒壊家屋の下敷きとなり落命した。

 日本法医学会は翌2日に大規模災害に関する対策本部を設置。警察庁からの要請を受け、石川県の輪島、珠洲両市に8次にわたり法医学者を派遣。遺体の検案活動に従事した。同学会庶務委員会の委員長として調整作業に当たった長崎大学医学部長の池松和哉教授に、初動段階での対応を聞いた。インタビューでの発言を以下に紹介する。

家屋倒壊現場で安否不明者の確認を行う自衛隊員=2024年1月6日午後、石川県輪島市【時事通信社】

 ◇「大変なことが起こっています」

 元日は死体検案の仕事が入っていて、大学に出ていました。検案が終わって、教授室にいたところ、部屋に入ってきた村瀬壮彦助教に「大変なことが起こっていますよ」と言われ、初めて能登半島地震の発生を知りました。

 インターネットのニュースをチェックしながら、能登半島ではこのところずっと地震が起きていたので、「また」という感覚もあったが、次第に映像が出始めて、「これはとんでもないことになっとる」と思いました。

 耐震建築はどこまで進んでいるのか、古い木造家屋が多いのではないか。そうした懸念は、瓦ぶきの家がドスンと押しつぶされたように壊れた映像や、珠洲市長の話で被災家屋は4000軒くらいとの情報に接して、ますます募ったわけです。これは犠牲者の数が増えるかもしれないと。

建物が損壊した現場で救助活動を行う自衛隊員ら=2024年1月2日、輪島市[防衛省統合幕僚監部提供] 【時事通信社】

 亡くなった方が200人になると、遺体の検案は現地だけでは対応できないので、法医学会として動かないといけないと思いました。学会には大規模災害時、死者15人で対策本部立ち上げという内規がありますが、今回は10人以上で立ち上げることにして、神田芳郎理事長の許可をもらいました。

 対策本部の正式設置は2日。名称は「日本法医学会令和6年能登半島地震災害死体検案支援対策本部」。本部長に理事長、副本部長に庶務委員長が就き、会員に指示を出すことになります。

 中部地区の取りまとめをお願いした新潟大学の高塚尚和教授からはその日の昼ごろ、石川県内で6人死亡、15人生き埋めを確認との情報がメールで来ました。能登半島の被災地に一足先に入った金沢大学教授の話の内容を伝えてきたものです。

 休暇を取って家族と一緒にいた金沢医科大学の水上創教授には、石川県に戻り、法医学会の「0次隊」(先遣隊)として現場に向かってもらうことにしました。

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