「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

能登半島地震の検案活動はこうして始まった
~法医学者らの初動―現地派遣調整~ 【第5回(上)】

地震による津波の影響で転覆したとみられる船=2024年1月5日午後、石川県珠洲市【時事通信社】

地震による津波の影響で転覆したとみられる船=2024年1月5日午後、石川県珠洲市【時事通信社】

 ◇東日本とは異なる環境、8期まで活動

 6日の報告では、能登半島は道路寸断でひどい渋滞が起きており、夜のうちに自衛隊が遺体を現場から輪島の検案所に移す話があったのに、朝行ってみたら着いていなかったという記述もあります。

 今回は、1月23日までの間に計8期にわたり派遣を行いました。第3期までが各4人、4期と5期が各2人、6~8期が各1人です。人選のエリアは、石川県に近い所からだんだん遠い所へ広げました。

 現地に持参すべきものとしての防寒対策品、2泊3日分の食料と水、寝袋、検案に必要なものとしての注射筒や注射針、ゴム手袋、エプロンなどをリストアップし、皆に共有しました。

 ここまでインフラがやられた現地への派遣は初めて。日本海側からアクセスでき、宿泊先も確保できた東日本大震災の時とは状況が異なっており、手を挙げてくれる人がいるかなと思いましたが、皆さん引き受けてくれました。

 強い余震が続いていた時期でもあり、誰かが報告に「怖い」と書いていました。何かあったらどうしようと思い、私も眠れませんでした。

県道6号の土砂崩れ現場で復旧作業をする陸上自衛隊施設部隊=2024年1月5日、輪島市[防衛省統合幕僚監部提供] 【時事通信社】

県道6号の土砂崩れ現場で復旧作業をする陸上自衛隊施設部隊=2024年1月5日、輪島市[防衛省統合幕僚監部提供] 【時事通信社】

 ◇道路寸断、他の地域も起こり得る

 大規模災害では、必ずしも法医が真っ先に現地へ入らなくてもいいと考えています。最初は被災者を助け上げること、次に被災者の健康確保、そしてやっと亡くなった方となるはずです。フェーズ的にはアーリーでも、遅い方のアーリーでいい。それまでにいろいろな情報を集めて対策を考えられるメリットもあると思います。

 今回は、東日本大震災での活動の反省も込めて、法医学会内部や警察庁、日本医師会などと情報の共有を徹底しました。

 亡くなった方の死因で多くを占めるのは、家屋倒壊による圧死です。(津波による溺死が大多数を占めた)東日本大震災とは大きな違いです。そこから言えるのは、家屋の耐震化など地震対策が急がれるということでしょう。救助に関しては、土砂崩れで道路が寸断されたことや(海岸の隆起や岸壁の損傷で)港が使えなかったことがつらい点だったと思います。

 長崎県は、現地調査のために能登に職員を派遣しました。長崎市から先の野母崎半島や島原半島は全く同じ状況です。半島の真ん中に道が1本あって、あとは沿岸部の道路だけ。同じことが起きたらどうしようかと、法医学教室でディスカッションしています。長崎県庁にも同じことを考えている人がいるんだなと思いました。(時事通信解説委員・宮坂一平)

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