「医」の最前線 行動する法医学者の記録簿

現状を直視、次の災害へ対応進める
~能登検案活動の問題と課題―日本法医学会~ 【第7回】

 日本法医学会(神田芳郎理事長)は6月に岡山市で開催した学術全国集会で、「令和6年能登半島地震における日本法医学会の死体検案活動」と題して、シンポジウムを行った。1月1日に半島部を襲った大規模災害という特異な状況下、情報収集や会員との連絡など派遣に至るまでの問題点、警察など諸機関との連携の在り方、現地での活動実態などが報告された。登壇者の発言をまとめた。

地震発生から半年を迎えた朝市通り周辺に供えられた花=2024年7月1日、石川県輪島市【時事通信社】

 ◇連携これまで以上に緊密に

 引地信郎・警察庁刑事局捜査一課検視指導室長

 国内で大規模災害が発生した場合に備えて、警察庁は被災地で活動する部隊「警察災害派遣隊」を設置している。派遣隊は、「即応部隊」と発災から一定期間経過後に長期にわたって派遣される「一般部隊」で構成されている。

 即応部隊はさらに四つの隊に分かれており、その中の「広域緊急援助隊」には警備、交通、刑事の各部隊がある。警備部隊はいわば本隊で、被災状況や道路状況などの情報収集をはじめ、救助・救援活動、避難誘導などが任務。交通部隊は交通路の確保、刑事部隊は検視や死体調査、遺体安置所での遺族への引き渡しなどが任務となっている。

雨が降る中、不明者の捜索を行う警察官ら=2024年1月10日、石川県輪島市【時事通信社】

 広域緊急援助隊の発足は1995年。その年の1月に阪神大震災があり、全国の警察から機動隊など多数を派遣したが、経験や技術が不足していたということで、同年6月に設置した。刑事部隊は2006年の設置となる。

 広域緊急援助隊刑事部隊が実際に運用されたのは、11年の東日本、16年の熊本地震、24年の能登半島地震。刑事部隊は検視班と遺族対策班で構成され、1隊が12人(検視班10人、遺族対策班2人)。各県の規模に応じて部隊数を割り当てている。

 例えば警視庁は8隊、大阪府警は6隊、代表的な県は4隊、それ以外の県は2隊。合計で124隊、1488人となっている。

 能登半島地震では、1月3日から13日まで、全国の警察から延べ636人の刑事部隊を派遣。第1次は愛知と岐阜から、第2次は大阪、京都、兵庫から、第3次は群馬、長野、埼玉、神奈川からとした。

シンポジウムで能登半島地震に関する警察庁の対応について講演する引地信郎・警察庁検視指導室長=2024年6月5日、岡山市【時事通信社】

 ◇安置所、予定外の場所で代替も

 遺体安置所は4カ所設置。輪島の旧中学校や穴水のスポーツ施設、珠洲の(閉園した)保育園などで、うち2カ所は当初準備されていたものとは違う場所だ。(予定していた2施設には)避難者がおられ、水や電気が通っていた。検視をやるので出て行ってくださいとは言えないので、急きょ自治体にお願いして(代替施設を)探してもらった。

 旧中学校では、机にブルーシートを掛けて検視台にした。投光器の明かりを頼りに検視を実施したが、電気が来ていないので、発動発電機から給電している。

 ご遺体を洗うのに、水道が通っていなかったが、たまたま学校に賞味期限切れの備蓄水があったので活用している。

 棺(ひつぎ)が届くまでの間、納体袋を暫定的に使用した。遺族の方に(遺体の)顔貌確認を行ってもらうスペースも設けた。

遺体安置所の中に設けられた焼香台。シンポジウムで引地信郎・警察庁検視指導室長が説明した=2024年6月5日、岡山市【時事通信社】

 火葬場が不足し、遺族がなかなかご遺体を引き取れない状況もあったので、安置所に置かれたままとなったケースもあったと聞いている。そういう場合も、焼香したいという親族のために、こういったもの(小さな焼香台と花)を置いた。

 東日本大震災の時、検視立ち会い医師の確保は、日本法医学会の協力を得ておおむね円滑に行われた。しかし、派遣に当たり事前に詳細を申し合わせた文書がなかったので、いざ発生した時にどう動けばいいのかが分かっていなかった。

 それを教訓として、大規模災害時の連携について2014~15年に日本法医学会、日本医師会、日本歯科医師会の3団体との間で、相互協力を定めた文書の締結に至っている。

 今回は能登だったが、(想定されるものとして)首都直下型地震があるし、南海トラフ地震もかなり発生確率が高いと報告されている。自然災害の発生が危惧される中、これまで以上に関係団体との連携を緊密にやっていく必要性は大変大事だ。

 地震が発生しないことが一番だが、日本という国にいる以上、大規模災害の発生は仕方がないことなので、それに備えて、何があっても対応できるように準備していきたい。

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